枇杷(びわ)

びわは、バラ科の常緑高木樹。
11月頃白色の花が咲き、翌年初夏に赤黄色の果実をむすぶ。
果実は食用、葉、種子は薬用として用いられる。
奈良時代、光明皇后がつくられた「施薬院」は、
貧しい人や病気の人々を救済する施設。
ここでは、びわの葉療法が行われていた。
 幕末の頃には町の薬店が、
道行く人々にびわ薬湯を飲ませていたといわれている。

びわ
産   地

中国原産。日本にも、大分県、山口県、福井県などに原産がある。日本の産地は、
千葉、長崎、愛媛、熊本、兵庫、鹿児島など。10月下旬から1月にかけて花が咲き、
果物の中では珍しく冬に実がなり、熟成する。
種   類

果肉が厚く、甘味が強く、50gほどの実になるのが「茂木びわ」茂木びわより大き
く、70gほどの大きさになるのが「田中びわ」この2品種が、生産量の80%を占めて
いる。この他、高知県の「楠びわ」や静岡県の「土肥びわ」などの品種がある。
選 び方
左右対称にふくらみ、皮にツヤがあり、淡いオレンジ色で、うぶ毛に覆われている
ものがよい。
保   存
低温に弱い果物なので常温で保存し、食べる2時間ほど前に冷蔵庫で冷やすとお
いしく食べられる。
扱 い方



☆果実は傷つきやすいので、丁寧に取り扱う。皮は、ヘソ部分から、ヘタにむかっ
てむくとむきやすい。
☆果肉には、酸化酵素とタンニン質を含むので、皮をむいたり、 切った切り口が長
時間空気にふれると、褐色に変化してしまう。食べる直前に皮をむくのが一番よい
が、レモン汁をかけておくと防ぐことができる。

びわの種類
田中(たなか)
性質:6月上旬から6月下旬に収穫。
美しい橙黄色で、酸味と甘みがバランスとれた味。
茂木(もてぎ) 果肉が厚く、甘味が強く、50gほどの実になる
楠(くす) 性質:5月上旬から5月下旬に収穫。早生。小粒で丸形、糖分が高く、甘い。
大房(おおぶさ)

俗称として、たいぶさ、ななさんとも言う。
性質:5月下旬から6月上旬に収穫。
一房100g前後の大型種。味は、甘く歯ごたえがある。

種子


 
ビワは食べられる部分が少ないと言われるが、
果実は果皮、果肉、種子、心室を仕切る子房壁
(しぼうへき)からなり果実全体に対する可食率は
65〜70%である。非可食部(食べられない部分
)の割合は果皮約10%、種子約15%、果心など
約5%である。
 種子(しゅし)がまったくできない果実はすべて
落下する。(最近、種なしビワが生まれているが
これは例外)。


びわ療法
 びわには高い薬効効果があります。昔からガンや慢性
の病気を治すための自然療法でびわの葉を使い治療さ
れてきました。びわの葉を使った温灸や葉の焼酎漬けな
どが 良く知られています。
 びわの葉の焼酎漬けは、冬の一番寒い「大寒」の日に摘
んだ葉が生命力旺盛で良いと されています。

 アミグダリンが豊富に含まれるびわの種。ビワ療法と
いうとビワ葉が多くもてはやされて、種の方がすっかり脇
役に回っているようですが、実は種の利用価値はビワ葉
よりも遙かに多 く多岐にわたっています。
 びわの種はガンだけでなくぜんそく、肝硬変、糖尿病
など慢性の難病にも薬効があります。摂取の仕方として
はそのまま食しますが、乾燥種のままだとかなり堅いの
で、保温ポットなどで一昼夜蒸して柔らかくしたものを1
日に3 〜10個を目安に食べます、また、砕いて粉末にし
て飲んでもよいでしょう。
 びわ種は季節の一時期にしか入手できませ ん。








 枝が太く、葉の下面とともに淡黄褐色の綿毛を密生する常緑の果実。バラ科、高さ10m内外で、材は硬く、枝は開出する。葉は硬くて厚く、緑色が濃く葉状脈があり長さ15〜25cm、幅3〜525cmで広倒披針形、まばらに歯がつき基部は細まって長さ1cm以内の短い柄となる。
 年末に近く枝頂に大きな円錐花穂をつけ、淡黄褐色の綿毛を密生し密に多数花開く。花は白色5弁で径1cm内外。果実は次年の初夏に熟し黄色で丸く、または西洋梨型で長さ3〜4cm。中には大形褐色色の種を数個入れる。ビワの漢名は枇杷・びわで果実の形が楽器の琵琶(びわ)に似ているからともいい、また葉の形が琵琶に似ているからであるという説もある。
 ビワ属Eriobotryaaは東南アジアの温帯南部および亜熱帯に10種以内原生しているが、そのうちビワだけが常緑果樹として栽培されている。中国および日本(おもに九州、四国)に原生している。果樹分類上仁果類に属し、日本では果樹として栽培されるほかに、庭樹、さし花用にも栽培されている。
 果実は生食にするほか、缶詰またはビン詰に加工され、種子は杏仁キョウニン)の代用にもなる。材は強くて装飾用、つえ、木刀に利用される。日本には大分、山口、福井、千葉、福島、岩手の諸県および佐渡島にも自生しているのが見られる。古くから果実が利用され、延喜式(927)に枇杷の記述があり、三代実録(901)にも記録がある。本草和名には比波として記されている。
 江戸時代になると農業全書大和本草本朝和鑑などに記事が見られ、かなり利用されていたことが伺われる。しかし果樹として栽培されるようになったのは明治以後のことであり、最初の栽培は幼稚であった。〈茂木〉、(茂木はやや長め)、 〈田中〉(田中は実が丸く)などの優良品種が知られるようになり、在来種を更新して集約の栽培管理が行われるようになって、今日のみごとな果実が生産されるにいたった。
 現今では千葉、長崎、愛媛、鹿児島の各県が主要産地である。品種としては田中、茂木が主要品種で広く栽培され、田中は千葉県で、茂木は長崎県に多い。そのほかは高知、土肥(静岡県伊豆)。唐枇杷は中国原産で九州に多い。白びわなどがあり、新品種も続々市場をにぎわしている。