中仙道ルネッサンス  木曽街道400年祭り

(楢川村)木曽漆器祭・奈良井宿場祭 日時/  6/ 1〜3
(塩尻市)ぶどうまつり 日時/  8/ 25〜10/31
(日義村)木曽駒高原きのこまつり 日時/  10/ 6
(上松町)ひにきの里の夏まつり 日時/  8/ 4〜5
(大桑村)木曽ヒノキ三味線コンクール〜森の里の秋まつり 日時/  10/20〜21
(南木曽町)花馬まつり(田立歌舞伎)
       文化文政風俗絵巻行列
日時/  10/ 3
日時/  11/23 
(木曽福島町)第5回福島関所巡り 日時/  10/28
(開田村)第19回信州木曽開田高原そば祭り 日時/  10/ 7
(三岳村)産業フェスタ「みたけ牛焼き肉祭り」 日時/   9/ 30
(王滝村)未来世紀へつなぐ緑のバトン
日時/   5/ 26〜27 植樹祭
      10/13〜14 どんぐり祭り 
(山口村)ふるさと馬籠ごへー祭り 日時/   10/18
(中津川市)夏祭り「おいでん祭」 日時/   8/12〜13
(木祖村)木曽川源流夏祭り 日時/   8/17〜18


今年は(2001年)は、江戸時代の主要道路「五街道」の一つ、中山道が制定されてから400年の節目の年となる。これを記念して木曽郡の11町村では、今年1月から来年(2002年)3月までの期間「木曽街道400年祭り」を開催する。四季折々に楽しそうなイベントが連続して開催される。今年は木曽路ががぜん注目の年だ。その中から5月、6月の行事を紹介しよう。

【未来世紀へつなぐ緑のバトン植樹祭】  5月26日(土)、27日(日)

16年前の長野県西部地震の崩壊地に緑を取り戻そうと、牧尾ダムや王滝川の支流濁川沿いを会場に行われる大規模な植樹祭。村内ばかりでなく王滝村を訪れた人々に、ドングリの実を拾って実生から2〜3年育ててもらった苗木を、この日各自が持ち寄って山に植樹する。オープニングかいじょうの牧尾ダム広場では、地元の特産品の販売やお昼にはイノブタ汁のサービスなどがある。

【木曽漆器祭 奈良井宿場祭】  6月1日(金)〜3日(日)

「木曽漆器祭」は楢川村を挙げての年に一度のビックイベント、村内のいたるところに店が出され、村の伝統的地場産業である漆器が売り出される。職人たちが丹精込めて仕上げた逸品から、これはという掘り出し物まで競うように並べられる。
「奈良井宿場祭」は、奈良井宿の宿場祭。この季節、毎年京都の宇治から江戸の徳川家に献上されるお茶が、まるで大名行列のような出で立ちで中山道を通った「お茶釜道中」を仮装行列で現代に再現する。最終日の3日に行われるが、一巻の時代絵巻を見るようだ。

【木曽暮らしの工芸館】

楢川村平沢の国道19号沿いにある「木曽暮らしの工芸館」は、ここだけで木曽路がまるごとわかるミュージアム&アートギャラリー&ショップ。地場産業の「木曽漆器」を生産する楢川村平沢は、通産省から伝統工芸品指定産地に指定されている。この「木曽暮らしの工芸館」では、「木曽春慶」「塗り分け呂色塗り」「木曽堆朱」といった木曽漆器の伝統的な技法によって生まれた漆器を鑑賞・購入できるだけでなく、現代感覚にあふれた新しい漆器のバリエーションも展示されている。沈金や漆塗りの体験工房もあり(要予約)、急須敷きなどを作ることができる。

(水交園)

食事には王滝村直営の「水交園」がおすすめだ。ここの名物はイノシシとブタを交配したイノブタの串焼き。豚肉よりもあっさりしていてやわらかい。生け簀でのニジマスのつかみ取りもでき、その場で焼いて食べることもできる。

(御嶽山岳歴史文化会館)

王滝口二合目にあり、御嶽山と山麓の歴史・民俗を紹介する資料館。館内の「郷土料理ひだみ」ではドングリを使った古代食「ひだみ料理」や「どんぐりこおひい」が味わえる。

【木曽路芝居小屋伝統祭り】  5月〜6月
 
(小川若宮神社例祭 葛の葉 上松町)
 伝統ある獅子狂言「葛の葉」の舞い、悪魔はらいの神事など。境内での奉納は2日午後。
 
(駒ヶ岳神社例祭 太々神楽 上松町)
 国の民俗無形文化財に指定されている「太々神楽」の四神五返拝や、三剣の舞など全13座の 舞が奉納される。
 
(和泉流狂言 薮原神社神楽殿奉納 木祖村)
 薮原神社の神楽殿落慶に和泉流狂言が奉納される。

【木曽街道ウオーク歩くなら木曽路】

(木曽川源流ウオーク)  5月19日(土)、20日(日)

木祖村の薮原営林署管内にかってあった森林鉄道の線路敷きを整備してウオ−キングコースがつくられる。やぶはら高原の「こだまの森」から水木沢天然林までの約8キロのコースで、一帯は木曽川源流の82haにもおよぶ手つかずの天然林。樹齢550年、直径2.5メートルの大サワラにも会える。5月19日(土)、20日(日)の両日には、このコースの整備を祝って「木曽川源流ウオーク」が行われる。出発点の「こだまの森」は野外音楽堂やコテージ・ケビン、キャンプ場などがある総合公園。当日はウオ−キングの参加者に豚汁などのサービスがある。

(中山道ウオ−キング北木曽路の祭り春コース)  5月19日(土)、20日(日)

中山道木曽路の最北コースを歩くイベント。日出塩駅を出発して。「是より南木曽路」の碑の前から贄川宿、贄川の大栃、麻衣廼神社を巡り、贄川駅に戻る約3時間のウオ−キング。ちょうどこの両日は麻衣廼神社の例祭の日で、山里の春祭りに浸こともできる。

【赤沢自然休養開園式】  4月28日(土)

赤沢自然休養林は、樹齢300年を超える木曽ヒノキが生い茂る国有林。その面積は728haにも及ぶ。日本で最初に指定された「自然休養林」で、森林浴の発祥の地でもある。かって木材運搬用に運行された森林鉄道は昭和50年に廃止されたが、昭和62年には観光用に202キロが復活した。今年もふゆの眠りから目覚めて、4月28日(土)に開園式が行われる。
     

森林鉄道出発式 森林鉄道記念館横 9:00〜
開園式 森林教室広場 9:30〜
森林のコンサート 森林教室広場 9:45〜10:30(上松美香アルパ・コンサート)

これだけは行ってみたい!!



           
春のワクワク イベントガイド


松本エリア
浅間温泉  浅間温泉ひろばオープン(5月7日)
 浅間温泉会館(ホットプラザ浅間)横に広場が完成。お湯かけ道祖神もお目見えする。
あがたの森公園  クラフトフェアまつもと2001(5月26日〜27日)
 全国からクラフトマンが集まり木工・陶磁器・ガラス細工・彫金などの作品を展示する恒例のフェア。春の日ざしを受けて広い公園の中で一般の人たちとも交流する。販売もあり、思わぬ掘り出し物もあるかも。参加・入場無料。

大町・北安曇エリア
塩の道  春の塩の道ツアー・天神道コース(5月26日〜27日)
 到着第1日目は宿の主人と山菜を摘み、夕食に味わう。第2日目は塩の道・天神道コースをのんびりと巡る。一泊3食10000円(ガイド料・保険代込み)
栂池高原  1.へリスキーツアー(4月28日〜5月6日)
 栂池高原スキー場から天狗平までヘリコプターで飛び、白馬乗鞍スキー場まで標高差1400メートルのロングツアーを満喫する。通常のスキーの他にテレマークスキーやスノーボードでの参加も可。斜滑降とキックターンのできる人ならば誰でも参加可能。(参加料金14000円)
        2.栂池サイクル2001 
 6月9日(土)
 栂池高原から栂池自然園までを自転車で一気に駆け上がる健脚を競う山岳ロードレース。参加費5000円で、レーサーを募集中。締切り5月18日
白馬五滝  かたくり祭り(4月28日(土)〜5月5日(祝)
 白馬五滝の山麓にカタクリの花が咲き競うのは4月下旬〜5月上旬。この頃になると五竜岳にも武田菱の雪形が現れる。4月28日の昼にはエスカルプラザ前で五竜なべがふるまわれる。山野草の販売もある。
白馬さのさか  春・白馬さのさかネーチャーウオ−キング  5月27日(日)
 日本の「名水百選」にも選ばれた姫川源流、深海湿原は植物の宝庫。自然観察指導員のガイド付きでさのさかの遅い春を探しに歩く。
木崎湖  新緑の木崎湖 小熊山トレッキング  6月10日(日)
 木崎湖の西の小熊山(標高1303メートル)周辺を歩く。山頂からは残雪をいただく鹿島槍ヶ岳や爺ヶ岳の眺めが素晴らしい。参加者には昼食時に豚汁のサービスなどがある。全行程は10キロ程度、参加料1000円、要予約。

安曇野エリア
安曇野スイス村  世界大動物園  5月20日(日)まで開催中
 ホワイトライオン・白トラ・白クジャクなど、世界中から希少な80種150頭羽の動物が大集合。那須ワールドモンキーパークからのサル軍団のショーもある。入園料1700円。
奈川温泉ほか  渓流いわな釣り大会  6月10日(日)
 村内を流れる奈川を会場に行われる、いわな釣り鯛大会、今年の詳細は未定。

木曽路エリア
木曽路の常設ウオ−キングコース
1.中山道ウオ−キング常設コース
 中山道最大の難所といわれる薮原宿ー鳥居峠ー奈良井宿を歩く定番のコース。沿線は休憩やトイレなどが整備されており、往時の街道の雰囲気を充分に満喫することができる。行程は5時間程度。「コース」薮原〜鳥居峠〜奈良井宿〜平沢〜木曽くらしの工芸館。
2.中山道・木曽古道常設ウオーク
 木曽川沿いを辿っていた江戸時代の中仙道以前の古道を歩くコースで、沿線には自然と古い面影を残す集落が点在していて、タイムスリップしたような錯覚に陥る。全行程は16.5キロで6時間程度。「コース」上松駅〜駒ヶ岳神社〜大宮神社〜寝覚の床〜小野の滝〜林道〜
東野阿弥陀堂〜林道〜立町〜倉本駅
3.赤沢自然休養林常設ウオーク
 赤沢自然休養林内に設置された7つの散策コース。(ふれあいの道)2.1キロ60分は車椅子の人でも気軽に森林浴が楽しめるよう段差を無くし、全線を橋と舗装道路に整備したコース。ほかに、「駒鳥コース」2.0キロ60分、「向山コース」2.0キロ60分、「中立コース」2.0キロ60分、「冷沢コース」3.5キロ110分、「上赤沢コース」2.6キロ80分、「渓流コース」1.5キロ40分がある。



 
 以上で長野県全域の行楽地の紹介を終わり、25分間の諏訪湖サービスエリアでの休憩も終わり、5分もしないうちに長野道との分岐点をすぎ、辰野パーキングを過ぎるとまもなく、諏訪湖から流れ出た天竜川を渡り、左右どちらを見ても山々であった。

伊北インター、伊那インター、小黒川パーキング、駒ヶ根インター、駒ヶ根サービスエリアこの辺の、上り下りの防音壁に南アルプスや中央アルプスの山の名前が書いてあったが、バスのスピードでは、よく読めなかった。何度か通れば読めるようになるかもしれない。

そして、松川インター、座光寺パーキング傍(明日は飯田市内の観光で、元善光寺)まで来る。飯田インター、阿智パーキングで、臨時のトイレ休憩をした。いまだに、小雨は降り続いていたがそれも時間の問題だとひそかに思った。そして、網掛トンネル(1940m)、園原インター、長い、長い恵那山トンネル(8490m)を通り抜けると、岐阜県だった。

 中津川インターを出ると、国道19号線を北上し、沖田で右折7号へすぐに左折して右に落合の、石畳をチラッと眺め、正午前には馬籠宿に到着。早速昼食テーブルには、ビールと炊き込みのご飯の定食があり、少しつまんでいると打ち立ての蕎麦が出てきた。さすがに打ち立ては歯応えがあり、おいしかった。

 食事が終わる頃になると空も思いのほか急激に回復して晴天となり夏の太陽がじりじり照り付け非常に熱かった。食事も早々に切り上げ、旧道の急坂を登り、左右の古い建物や建物の中のみやげ物屋を覗き、めぼしい物を決めながら、さらに坂道を登り車の走る道路に出たが旧道はその先へと、続いていたが、そこからおり返して来た。

途中で藤村記念館に入り(入館料500円)右の建物には教科書が展示され、奥に行くといろいろな物で、一杯だった。

 左側の記念館は、階段を上がって、入るとスタンプがあり、貰ったパンフレットに押す。館内は
*研究室・収蔵庫(第1文庫)
*閉架 企画展示室(第2文庫)
*テーマ展示 常設展示室(第3文庫)
 生涯にわたる作家活動の資料を年代順に展示。
1.詩集
 「若菜集」「一葉舟」「夏草」「落梅集」「千曲川旅情のうた」「椰子のみ」
2.小説
 「破戒」「春」「家」「東方の門」「夜明け前」「さくらの実の熟す時」「新生」「嵐」
3.童話
 「幼きものに」「ふるさと」「をさなものがとり」
4.紀行文集
 「仏蘭西だより」「海へ」

島崎藤村(本名 島崎春樹)明治5年3月25日〜昭和18年8月22日 71歳
 昭和10年初代日本ペンクラブ会長に就任、翌年日本代表として南米アルゼンチンで開催された国際ペンクラブ大会に出席。昭和18年大磯町自宅で「東方に門」執筆中に倒れ、8月22日に71歳で逝去。

藤村の生家  =長野県史跡 藤村宅跡=

 
藤村記念堂

建築家谷口吉郎博士設計の奈良朝様式の建物。庭の中央に旧本陣の礎石が残り、東南隅の書院前あった牡丹が毎年五月花をつけ、往時を偲ばせる。正面に中央アルプス(木曽山脈)の恵那山、裏手に菩提寺永昌寺の森が望める。

 
本陣隠居所

馬籠本陣の建物は、明治28年の大火でほとんど焼失。唯一残ったのが祖父母の隠居所である。少年時代、この2階の部屋で平田派の国学者であった父から四書五経の素読を受けた。『夜明け前』や童話集の中にもたびたび登場する。(県指定文化財)

 
ふるさとの部屋

 
文学碑=太陽の言葉

 
藤村記念館沿革

昭和22年「文豪藤村を顕彰するものを造りたい」。と考えた馬籠の青壮年により、ふるさと友の会が結成され、勤労奉仕により藤村堂が建つ。25年、「わたくしたち藤村と血縁あるもの、あるいは郷土を同じくするものは、藤村の生涯の所産が、わが国の文化財として久遠の生命を保つのみでは満足することができない。ここに同志相寄って藤村出生の地を選び、人間藤村の生涯の記念となるものを保存して、後代の人々のために計る」目的をもって財団法人藤村記念郷が設立された。

昭和27年、藤村文庫の長男楠雄氏から約5000点に及ぶ資料の寄贈を受け、長野県内の小、中、高校生、、教員より寄付を受け藤村文庫(展示室)が完成、藤村記念館として開館し、その後、作家・詩人の文学館設立の先駆けとなる。島崎藤村の研究・普及活動を続け、現在に至る。

 まだまだ、見ていたかったが、時間がないので外に出た。下見をしておいた店で木製のおもちゃを3つ買い、そして、汽車の汽笛 笛と竹のたて笛を買って、バスに戻るとほとんどの人が、着席していた。まもなくすると、バスは国道19号線へそのまま戻り、山口村役場前から256号線には入り妻籠宿で、約1時間30分、自由に散策し皆さんオモイ・オモイにお土産や腰をおろしてものを食べる人、私は先へ進み、人気が少なくまるまで行き、右に曲がると川があり、新しい橋と、通行止めになった古い橋が並んであったが、橋の上から、ぼんやり眺めていると、仲間が来たので写真を取りながら、川面を眺め流れの大きな音を聞いていた。

(馬籠宿の枡形)
 
 江戸時代、各宿場の入口には街道を直角に曲げる「枡形(ますがた)」と呼ばれる空間が設けられていた。外敵の侵入を防ぐため宿場そのものを一つの城塞と考えて作られたものだが、馬籠の枡形は傾斜地に築かれている故、まさに城郭を想わせる。

(馬籠脇本陣史料館と清水屋資料館)
 
 馬籠脇本陣史料館は、蜂谷家に残された宿場時代の文献資料などの他、江戸時代の宿場の姿、民具などを通して、木曽谷に暮らす人々の生活習俗等をうかがうことができる。清水屋資料館、清水屋は藤村と親しい交際のあった家で、藤村の書簡等が展示されている。


 
また、調べて見ると、この馬籠地域独特の行事として6月、7月には次のようなことが行われます。

 男の節句句・端午の節句、月おくれの6月5日に行う。菖蒲、蓮を屋根のひさしにかけるのがこの土地の習慣です。菖蒲は魔除けの力があると言われ、菖蒲湯に入ります。

 虫送り、7月7日。田植を終えた稲に害虫がつかぬように、また悪い病が流行しないように、荒町諏訪神社の神主が馬籠の頂上からお払いをしてゆく。子供達が色紙を付けた竹の枝をもって神主の後に従い、国境・新茶屋まで行って、病と害虫をすててくるのです。
 
 馬籠は木曽十一宿のひとつで、この長い渓谷の尽きたところにある木曽路の最初の入口にあたる。そこは美濃境にも近い。美濃方面から十曲峠に添うて、曲がりくねった山坂をよじ登って来るものは、高い峠の上の位置にこの宿を見つける。この馬籠宿の手前には、「是より北木曽路の碑」もある。国道19号線に沿って馬籠宿、妻籠宿、三留野宿、野尻宿、須原宿、上松宿、福島宿、宮ノ越宿、薮原宿、奈良井宿、贄川宿と北上して江戸へのぼる諸大名の参勤交代をはじめ、商人、芸人など、あらゆる階層の旅人があふれ、街道は活況を程したが、中山道の歴史が最もきらびやかな色彩に色どられたのは、文久元年の和宮の御降嫁であった。前後をかためる警備の役人以下、総勢二万五千人という、未曽有の人員が動員された行列に、木曽街道がわきたった。江戸まで旧中山道を往来したことを思うと、昔の人の健脚にタダタダ頭が下がります。

 妻籠宿は、慶長6年(1601)。江戸幕府によって「宿駅」が定められ、五街道の1つ中山道の42番目の宿場として整備されました。明治以降 町並みを消滅させてしまうほどの大火災に頻繁に見舞われてきた。 その中でも、明治28年(74戸焼失)、それに大正4年(42戸焼失)の二度にわたる大火によって、かつての江戸の宿場を消滅せざるを得なかった。宿場としての機能を失い、衰退の一途をたどったのですが、昭和43年(1973)から歴史的町並みの保存事業により、宿場の景観が甦りました。昭和51年に、国の重要建築物群保存地区に指定されています。家並みは変わっても街道文化の貴重な遺稿は、いたるところに垣間見ることができる。
 
 木曽路を愛した多くの旅人たち・・・。広重や英泉、芭蕉など、多くの文人墨客がこの地に憩い、詠み、描いた足跡は随所に見られ、街道文化が花ひらいた往時の香りを今にとどめている。


 妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤めました。島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で、馬籠から伯父の所へ養子にきた広介でした。
 本陣は明治に入り取り壊され、その後明治32年に御料局妻籠出張所が建設されました。
 本陣の復原は妻籠宿の保存が始まった当時からの念願であり、島崎家所蔵の江戸後期の絵図をもとに、平成7年4月に復原されました。
歴史資料館は妻籠宿本陣・脇本陣奥谷との三館により構成されている。
 
(脇本陣奥谷郷土館)
 
 林家は屋号を奥谷といい、脇本陣、庄屋、問屋など、妻籠宿の要職を勤めた。島崎藤村の有名な“初恋”にうたわれた、馬籠の大黒屋のおゆうさまの嫁ぎ先でもある。現在の建物は、明治10年に城郭を模して建てられ城門風の待玄関や庭園など禁制だった檜の大木をふんだんに使用した三階建ての豪壮な建物である。皇女和宮から拝領した車付き長持ちをはじめ、おゆうさまの肖像画や自筆のお手本など資料も豊富である。
 
 妻籠は中山道と飯田道(大平街道)分岐点として栄えました。この道標はその分岐点に立つ高さ3mあまりの大石標です。明治14年に国道開通を祝い、飯田・近江・地元の商人たちによ
って建てられたものです。


 暫くして集合時間が近くなったので、駐車場戻りバスに乗った。国道256号線をすすむと新しくできた清内路トンネル(飯田地域と木曽地域)を結ぶ県南部の広域幹線道路であり、また、中央自動車道恵那山トンネルが危険物積載車輌の通行規制区間となっているため、その迂回路線ともなっている。

 当区間は、峠越えの急峻な地形のため、幅員が狭く、急カーブの多い未改良区間で、大型車の通行に支障があり、国道としての機能を充分に果たしていない。このため、清内路峠バイパスの整備により、災害に強い安全な交通の確保を図るとともに、地域の産業振興、文化交流、人材交流及び広域観光ルートの機能の向上を図るものです。
 清内路トンネル
(延長1,642m)を含む清内路峠バイパスは、平成12年7月31日盛大なセレモニーが行われ、通行できるようになりました。おかげで、1時間足らずで、今日の宿泊地『湯元ホテル阿智川』に到着。