第34回吾嬬旅行会

昼神温泉郷
湯元ホテル阿智川

 

●●南信州・昼神温泉1泊の旅●●
期  日 2001年6月24日〜25日
参加人数 77名
参加費用 27,000円
旅行社 大師観光(株)
バス Km観光バス
宿泊先 湯元温泉阿智川
吾嬬旅行会(役員)
会  長 塚田 米作
幹 事 長 箭野   豊
(副)々 岩井 義治
会  計 小川 房男
  々 平子   力

 見学場所=馬籠宿、妻籠宿、お菓子の里飯田城、元善光寺、ドライブイン酒蔵、山都飯田水引、三和農園            

 


 


 第34回目の吾嬬旅行会は21世紀に入って初めてという、記念すべき旅行を長野県と岐阜県の県境の昼神温泉郷に1泊2日のバス旅行になりました。

 この旅行の企画は、平成以来ずっと旅行のお世話をして頂いた本州トラベルさんが、昨年11月30日をもって、廃業され、その後を引き受けてくれる大師観光鰍ウんに引き継がれ、今回は前任者と変わらず、それ以上の努力をしてもらい、参加者の多くの人達から「ヨカッタ、ヨカッタ」のお褒めの言葉を頂き、ほっと一安心している所です。

 今回の旅行をもって会長を退く塚田さんにとっても、心に残る想い出の旅行会になり、世話人一同も2回の役員会で、より一層、楽しく、明るく、賑やかな、悔いの残らない2日間に、仕様と、いろいろ話し合いの結果、よい成果が上がりホットしています。

 第1回目の役員会では、会長の挨拶の後、会計より旅行参加者の人数の報告があり、今回はちょっと少なめであるということで、役員の皆さんに、もう少し人員確保の努力をお願いしました。
 配車については、幹事長一任ということで、話が決まり。
 o続いて車中でのイベントは、1・ビンゴ2・カラオケ決まり、
 o宴会での演芸は、1・カラオケ、2・踊り、3・ジャンケン大会&抽選会、4・すみだ踊り
 抽選会の賞品については、皆さんの中で余っているビール券、商品券の提供をお願い。
 o帰りの車中でのアイスクリームの件
 o次回の役員会の日取りと出欠席の各2を取る
 o懇親の後解散

 第2回目の役員会では、会長挨拶の後、前回幹事長一任だった配車が発表され、車両長を決め、そして全員で部屋割りを決める。今回は非常にスムーズに決まり、何時も、この様に行くといいなと思いました。
 oバスのなかでのカラオケの賞品は各10本用意する
 o宴会出場者は、号車で5名、内、踊りは2名
 oビンゴは行き、帰りの各各1回≪賞金≫
 o行きの昼食には会よりビール少々、帰りの昼食には出ません。
 o全員でビンゴ用の賞金造りをする
 o次期会長の選任方法
 o反省会の日時、場所、会費、その他を決め、懇親して解散。
この2回の役員会には大師観光鰍ゥらも、平塚営業課長にも出席して貰い会の考えの一端でも知って貰えば、その後の事業にも生かせるのでは、ないかと思い出席してもらいました。


 
当日の朝は6時に起きて、バスに積みこむ飲み物、食べ物などを車に乗せて集合場所に行くともう10数人の人達が、それぞれの号車の前に集まっていた。
 この人達は毎年、こうして早くから集まっているようです。荷物を持って行くと手際よく、おろして付近に並べてくれた。
 まだ空は曇り空で、雨の心配もないように思われたが、車を我が家に戻し、集合場所に戻ると、すでにバスが来ていた。
 その頃になると役員も大部分が集まっていた。手分けして車内へ持ち込むもの、トランクに入れるものとに分けて運び込んだ。
 降るとも思っていなかった空からポツリポツリと落ちてきたが、もう全員が集合して居るかと思ったが、たった一人がまだだとの報告があり、車両長が迎えに行き、2人で雨の中を傘も、ささずに自転車に乗ってやって来たので、5分遅れで出発できました。
 バスは、八広中央通りを南に、明治通りを右折して、京成電鉄の踏み切りを渡り、曳舟川通りを横切り、生涯学習センターの前を通り、東武鉄道のガード下を過ぎ、すぐ水戸街道を横切り、白鬚橋の手前の堤通りを左折して、左に、地藏坂通りを見やりながら、右角の旧大倉別邸のあった(現共栄倉庫)、向島高速入口から環状6号向島線に入り、駒形ランプ、両国の合流あたりで、朝の挨拶があり、車両長、会長(幹事長)、添乗員(大師観光兜ス塚、牛久)、バスガイドの順に行われた。
 道路は、非常に空いていて、たいした時間もかからず、首都高、中央高速共に雨は降っていたが、す〜いすいと走ることが出来ました。三鷹の料金所を過ぎる頃から降ったり止んだりの繰り返しだった。八王子の料金所を過ぎ徐々に上り坂になり、小仏トンネルの手前で、いま、盛んに工事がされている、一部橋脚も出来ていた。トンネルを出るとすぐ左に相模湖が見え、左右にカーブしながら、神奈川県から山梨県へと入り最初の上野原のインターから片側3車線になり、とても広く感じ、また、視界もよくなり、談合坂の手前の、あの有名な鶴川大橋からの大渋滞も今年の旧盆は、幾分か、解消されるのでしょうか。


 

 1回目の休憩場所は談合坂パーキングで25分間です。皆さんも、東京方面から来ると、たいてい、ここで、休憩されるのではないでしょうか。今回は、渋滞も無く順調に来られたので、おおめの時間を取りました。駐車場は、大型車用も、普通車用も、ほぼ満車だった。
 パーキングを出発すると、当旅行会お馴染みのビンゴゲーム大会のはじまり______。まず、カードを配り、行き渡った所で皆さんテレビに注目、いよいよ開始です。まず、フリーをおりテレビ画面を右往左往する数字を追いかけ止まって出る数字を確認しながら、一喜一憂して、暫しの時間を忘れて夢中です。そのうち、リーチの声が
ちらりほらりと上がり、一段と賑やかになりガゼン興奮してきました。が、なぜか今回は待てども待てどもビンゴの声は上がりません。
 賞金は今回初めて、役員全員の内職仕事で(今までは粗方、私と妻で、袋ずめを、会計、車両長で)作った、労作(中身は参加してのお楽しみ)です。
 暫くすると、最初のビンゴの声が上がりました。3番目までは別口(ちなみに、テーブルクロスと賞金)、3人がビンゴになると、後は、ビンゴになった人から袋の中より一つ引き抜くという方法で最後まで全員が上がるまで行い、全員に当たるように用意されており、ブービーメイカーには一味(その都度賞金であったり、品物であったり)が、付けてあります。
 わいわいがやがや、大騒ぎしているうちに、大月、笹子トンネル、勝沼のぶどう棚、一宮の桃畑、石和、甲府、韮崎、この辺りからカラオケをはじめ、待ってましたと10曲余りのリクエストがあり、バスガイドは、リクエストの選曲に追われ、我々との痴話ばなしにも途切れ途切れで、一時は戦場のようだった。
 それでもリクエストは途切れずあり、暫くすると、カラオケを歌ってくれた人にと、旅行会で用意した粗品も無くなり、それ以後の人達には、ただただ歌うだけだった。
 バスは順調過ぎるほど、よく走り、須玉インター、長坂インター、八ヶ岳パーク、この辺りは中央道で、海抜が一番高い所で1015mもあるそうです。また、バスの中は、ドンドン盛り上がり、小淵沢インター、諏訪南インター、諏訪インターと通り過ぎたのも知らずに、2回目の休憩予定の雨降る諏訪湖サービスエリヤに、到着(休憩時間25分間)


 

 まず、サービスエリヤの建物に入り、公団のお茶を呑み、道路地図を貰い、その脇にはいろんな、パンフレットがあり、中でも一番先に目に入ってきたのが、信州レジャーガイドだった。
 それはタブロイド版の16ページもある観光地案内だった。それには、≪2001年GW特集≫で
1ぺ−ジには北アルプス(まだ残雪の残った)をバックに鯉のぼりが泳ぐ写真に、見出しが載り、下には、上高地の写真が、3.4枚あり、発行は NBS長野放送 企画は共立プラニング松本支社制作 龍鳳書房と書かれていた。≪得とく情報≫この情報紙を持参された方には次の店ですてきな特典があります。(広告参照・50音順)

味の信州むら 木曽漆器座卓企業組合 グリムクック
信州塩尻農業公園チロルの森 ファインビュー室山 ホテル夢の湯

2.3ページには
お城だけじゃもったいない見どころいっぱい松本エリアをせめろ !!
 
100円バスと徒歩で城下町探検に出発!! (松本の城下町巡りには「松本城周遊100円バス・タウンスニーカー」が便利。どこまで乗っても料金は1回100円、便利な1日券500円も販売している)

運行 JR松本駅東口前発 9:00〜18:00 30分間隔で運行
運賃 1乗車100円 1日券500円(1日券は松本バスターミナルで発売)
問い合せ  松本市観光温泉課 0263−34−3000

 巡回バスのタウン・スニーカーの写真と市内近辺の略図と市内拡大図と≪信州スカイパーク≫の紹介がある。



北信州地区
南信州地区



 ≪昼神温泉≫

 昭和
48年,今では幻となってしまった旧国鉄中津川線(飯田・下呂線)のボーリング調査中,突如お湯が湧きだしました。
 さまざまな事情で幻となった鉄道工事の思わぬ産物は,年間
60万人もの観光客の訪れる一大温泉地となりました。

 ≪湯元ホテル阿智川≫   昼神温泉第1号館としてオープンした

ホテルの前で、号車別に記念写真を取り、ロビーに案内され、各部屋までエレベーターで上がり浴衣に着替えて、すぐさま、大浴場に行く者、テレビを見る者、お茶を呑む者、様々だった。
  ●●夜10時になると夜間照明●●
ここの露天風呂は、素晴らしいと聞いていたので、今日の宴会の下調べや打ち合わせなどをして、宴会の催し物に出ていただく人達を、案内したり、各部屋の様子などを見終えると、風呂に入った。
     ●●(上)「男」露天風呂●●
●●(左)「女」露天風呂●●


 普通の浴室はメガネが曇って仕舞うので、すぐさま、露天風呂の方に行った。パンフレットで見た通りだった。もっと奥へ行くと、洞窟風呂がある。中に入ると、ドドット滝のように流れ落ちていた。右側には源泉口(古より変わることなく湧きいでる大地の恵み昼神温泉。裏山をくりぬく様に滔滔と湧出。後で女性に聞くと、ほぼ、同じようだといっていました。また、夜10時を過ぎると、一段と明るく山側に照明がされ、昼間とは別世界に変わります。
すばらしい!!!

温泉 浴用効果

リュウマチ性疾患 慢性中毒症 糖尿病 運動障害 創傷 婦人病 美肌効果

温泉 飲用効果

糖尿病 慢性中毒症 リュウマチ性疾患 通風および尿酸素質 慢性便秘 慢性気管支炎 P・H濃度9.8

部屋のテレビ番組ご案内の一番下には、次の説明が書いてあった。

≪昼神≫
 昼神温泉は、 約250年前の古文書にも記されていた伊那谷随一の天然温泉でした。しかし、土砂崩れにより温泉は姿を消し、人々の記憶からも消えていきました。 そして、昭和48年、旧国鉄のトンネル試掘中、良質の湯が湧出。その湯量、効能により、再び伊那谷随一の温泉として賑わいを見せるようになりました。                                    
ちはやふる 神の神坂に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 斎(いわ)ふ命は 母(おも)父(ちち)がため
   (万葉集の歌)                                      主張  埴科郡神人部子忍男

 (北九州警護の防人として徴発された信濃の国の若者が、神坂峠を越えていく時によんだ歌です。荒ぶる神の領域である神坂峠に「幣(ぬさ)」を手向けて我が身の安全と無事に帰還することを祈るのは、故郷の父母のためである・・・という意味だそうです)。

 日本武尊がご東征の帰り途、東山道最大の難所といわれた神坂峠にさしかかりました。その峠越えの途中、尊の前に白鹿が現れ行く手を遮ったのです。

 尊は口に噛でいた、蒜(ひる)を鹿に投げつけたところ、それが鹿の目に当たり死んでしまいました。ところがたちまち濃霧がたちこめはじめ辺りは一寸先も見えない状態になってしまったのです。尊は一歩も前に進むことができません。と、ちょうどその時、尊の前に一匹の白狗(いぬ)が現れ尊を里へと導いたのです。これ以来、峠越えには蒜を噛めば妖気に打たれることがないといわれるようになりました。

 そこから、この地が
「蒜噛」と呼ばれるようになり、転じて今では「昼神」と呼ばれる。

 またもう一つの由来として伝えられるのが,この地の阿智神社にまつわる話しです。
 阿智神社に祀られる神は、「天の岩戸」伝説で知られる天照大御神を岩戸の中から救い出す方法を考え指示した知恵の神、天思兼命です。無事に岩戸から救い出し暗黒の世界に光を蘇らせた神の天降りになった処ゆえに昼神と呼ばれるようになったと伝えられています。

 
このように昼神は古人のロマンあふれる里として知られています。

≪館内施設案内≫

温泉施設

●大滝大浴場    男女各100名同時入浴可能ジェットバス 14:30分/8:30(翌朝)    ●奇岩大露天風呂 男女各40名洞窟、気泡、ミストサウナ 14:30〜22:00/6:00〜8:00

 
 平成11年6月、人気の温泉施設を全面増改築、新たに情緒豊かな男女別洞窟風呂、
鉄平石を使用した洗い場のゆったりとしたスペース、高さ10m幅10mの大滝を見ながらの大自然のながめです。
 露天風呂にある洞窟の奥170メートルの所に昼神温泉の湯元があるのだそうだが、岩やさまざまな木々を配した窓外の中庭に広がる池や緑を眺めているだけで、気持ちが休まってくる。落ち着いた静けさとやすらぎを売り物にしているというだけあって、誰にも気楽に行けるホテルといった感じです。  
 毎朝6時から8時まで名物の朝市が開かれる。民芸品や季節の果物、野菜、きのこなどの出店がならび、にぎわいを見せる。朝の新鮮な空気を吸いに浴衣がけで出かける観光客も多い。 

                       ●●各施設●●
クラブ ナイトプラザ阿智川(外国ショー) 120名収容 20:00〜23;00
飲み放題、テーブル、ショー各チャージ、チャーム付、ご利用料金、「男性3500女性¥2500」
カラオケルーム 3室 各室8〜12名入室可能  1時間¥7000 19:30〜23:30
お好み処  東山道(1F) 自慢の麺類各種一品料理、飲物各種 20:00〜24:00
ラウンジコーナー 売店コーナーゲームコーナー 人気機種30台 7:00〜23:30
ロビー コーヒー、ジュース等さわやかな朝の一時を 7:00〜10:00
料理茶屋  阿智川街道(15室) 20:00〜24:00
湯上がり茶屋 くつろぎ  
大駐車場 大型バス20台  
                      ●●客室案内●●
●客室 118室(祥泉20室112人祥耀27室134人飛翔40室176人、万葉30室150人)
●収容人員 600名様チェックインタイムPM3:00/チェックアウトタイムAM10:00
●大宴会場 瑞泉の間/万葉の間/天竜の間/飛翔の間
           ●●サービス●●
宅急便サービス  7:00〜23:00
 フロント又は売店コーナーにてお受けします

外線電話
 各室内電話よりダイヤル 0 をお廻しください

貴重品預かりサービス
 各客室金庫又はフロントにてお預かりを致します

モーニングコール
 各室内よりダイヤル 80 ・・時・・分 をお廻しください

各室内冷蔵庫
 料金コンピューター一括管理
ビール(大)  750円 5本
ウイスキー(ミニボトル) 1650円  1本
ジュース、サイダー  300円 各2本
缶ジュース  150円 2本
清酒(ワンカップ) 400円  2本
ドリンク  300円 3本
ソフトドリンク 200円 2本
別注文●●
日本酒(1合、地酒) 550円 
焼酎(750ml) 3300円
ウイスキー(ロバートブラウン) 8000円
ウイスキー(エンブレム) 9000円
ワイン(750ml) 3000円
冷酒(300ml) 1200円
いずれも+5%の消費税が付く
                   ●●その他オプション●●
*LDカラオケ  15000円    
*手踊りショー  9000円    
*昼神温泉大鼓  40000円    
*コンパニオン(洋服) 16000円(1席、120分) 延長(30分)4000円 車代 9000円
*コンパニオン(着物) 18000円(1席、120分) 延長(30分)5000円 車代 9000円
*芸妓 16000円(1席、 90分) 延長(30分)5500円 車代10000円
*マージャン 4000円    
*囲碁、将棋 各1000円    
いずれも+5%の消費税が付く
                 ●●追加料理●●
*舟盛り
    山女魚の姿造り                 @ 7000(4〜6人前)
    鯉の洗い                     @ 8000(5〜7人前)
    山女魚の姿造りと馬刺しの盛合せ      @15000(5〜7人前)
    鯉の姿造りと馬刺しの盛合せ         @15000(5〜6人前)
    海の幸お刺身盛合せ              @18000(5人前)
*単品
    信州牛和風ステーキ                    @3500
    信州牛網焼き                        @2000
    馬刺し                             @1500より
    鯰造り                             @1200より
    山女魚塩焼                          @1000より
    茶碗蒸し                            @800
    天ぷら                            @1200より
    生野菜                            @600
    お刺身(海の幸)                      @1500より
           ●●*季節料理●●
      (春)       (秋)
山菜サラダ  @1000より  焼マツタケ  @3000
山菜天ぷら  @1200より 松茸フライ  @3000
山菜     @800 松茸土瓶蒸し  @2000
  松茸茶碗蒸し  @1000
  茸サラダ  @1800
  茸和合  @1000
      (夏)       (冬)
鮎塩焼 @1000 鴨ロース万年煮 @ 1500
鮎煮浸す @1100 鴨ロースタタキ @ 1500
豚角煮 @1000 ボタン鍋  @ 1500
山菜サラダ @1000より ボタン鍋大鍋盛
(4人前)
@10000

                                 


宴会

 午後6時からだというのに、15分前には粗方の人が集まっていた。入口でジャンケン大会の参加賞を貰い、各々、号車別に席につき、時間キッチリに、お蔭様で開始する事ができました。

 式次第、通りに幹事長が司会をし、会長の挨拶、来賓の挨拶、会計の報告、乾杯、とスムーズに進み、しばし、飲食の後、2部の演芸がはじまり、踊り、カラオケ、宮本さんの=おーい箱根の半次郎を身振り手振りおかしい踊りに一堂この上無く楽しみ、興奮しました。

 続いて、ジャンケン大会&抽選会になり、まず、最初は自分の前の人とジャンケンをし、負けた人はそのまま自分の席に座り番号の書いたカードを貰い、勝った人は舞台の前に集まり、勝ったもの同士で互いに相手を探して、相手のいない人は自動的に負けという事で、さらにジャンケンをし、負けるとさらに負けたもの同志でジャンケンをし勝ったものは残り、負けたものは番号の書いたカードを貰い自分の席に戻りを、何回か繰り返して、勝ったものは常に残り、負けたものは負けたもの同志で勝ったものと再び一緒にジャンケンをして、最後は敗者の1位となる。
 
敗者復活の1位が決まった所で、勝ち残った3人で舞台の上で一気に優勝、準優勝、三位が決まり、抽選会になる。
 
抽選会は優勝、準優勝、三位、敗者復活優勝の4人に各5本のカードを引いてもらい、当たり番号を読み上げ、当たった人は舞台の上に並んだものを思いおもいに、持ち返ってもらう方式で行います。ですから、早かろうが、遅かろうが、好きな物(大きいもの小さいもの)、欲しい物があれば何時でも自分の手で持っていけます。自分の責任で持っていくので、開けてびっくり、喜んだり、残念がったり。

 食事をし、腹ごしらえが出来たと頃で、皆さんお待ちかねの、すみだ音頭を3回踊って、大締めをしてお開き。三々五々各自の部屋に引き上げて行きました。
 
私も、会場を見渡して忘れ物や、その他の確認をして、引き上げた。部屋のテレビは今日の都議選の結果が写っていた。明日の朝、旅行会からのお土産として渡す品物を選び、宴会、車両ともども、責任者として今日1日頑張って下さった方々を労(ねぎら)い、大浴場へ行って布団に入ると、もう12時を過ぎていた。
 
 朝まで1回も目がさめずにグッスリとよく寝られた。目がさめると早速朝風呂にまっしぐら、もう大勢が、大浴場、露天風呂に入っていた。空は今日もピーカンのようだ。

 朝食は7時30分からで、何時もならバイキングですが、今回はお膳を並べて、希望者にはビ−ルが用意され、膳の前にはお土産が置いてある。思いおもいに食事を終え、部屋ではNHKの朝ドラ(ちゅらりん)を見ている者、着替えてロビーでお土産を買う者、写真を買う者、玄関前に横ずけしたバスの網棚に、持ち物を乗せたり、何時もながら、様々な光景が見られました。
 
 いよいよ、第2日が始ります。ホテルの待遇が非常によく、参加者の多くの方々からお褒めを頂き、我々も、ホットしています。営業支配人の吉澤賢治さん、はじめ従業員一同に見送られてホテルを出発した。皆さん大変お世話になりました。そして、また、新しい思い出が1つ増えました。

バスはホテルを出ると、すぐに、川沿いに走り、温泉街のはずれで川を渡り国道256号線に入り右から来る三州街道(国道153号線)と一緒になり、中央高速の下を通り、飯田インターの所を右折して、すぐ街路樹として、りんごの木が植えられている、中には手のこぶしより少し、小さいくらいになっていた。

お菓子の里 飯田城
間もなくすると、左にお菓子の里 飯田城(赤飯饅頭、そば饅頭「試食」、他)、左折して一本裏道に入りお菓子の里飯田城の駐車場に入った。すると太鼓の音が聞こえてきた。バスを降りると店の人の案内で階段のそばまで来ると一つづつ試食にと、そば饅頭をくれた。階段を上がると、製造機械が動いており従業員がせっせと仕事をしていた。奥が店になっていて商品が並んでいる。一番奥に行くと休憩できる部屋があり、冷たい飲物を飲んで、しばし、のんびりした。市内をバイパスするようにして、次のスポット、元善光寺へと向った。

 


 

             りんごの木が街路樹
 飯田市立飯田東中学校の生徒達の提案により生まれ、飯田市中心街には二本の防火帯道路が街の中心で交差し、町が4分割になるように整備されています。万が一の大火災時には火災発生元の四分の一の町の焼失でくい止め、それ以上の延焼を防ぐ為です。元来りんご並木は並木通りとして作られたのではなく、この防火帯道路のまん中に作られた緑地帯に後から植えられたものです。並木誕生から約40年の歳月が経ち、車の往来の無い公園内並木として生まれ変わろうとしています。
 平成11年に並木通りのりんご並木のある区画は再開発工事が行われ、インターロッキングされた路面の広がる、公園的な雰囲気に包まれた並木へと生まれ変わりました。これまで以上に、人々に親しみやすい存在となった。

元善光寺
 駐車場にバスは、止まり石段を見上げると、急な石段だった。数えると60段あり、さらに19段があった。
 そして、本堂が見えた。薄くらい本堂の中をグルリと一周できるが中へ行くと真っ暗で足元も不案内で、何があったのかよく見えなかった。
 推古天皇時代の開山といわれる天台宗の名刹。もともと、長野の善光寺にある。
 本尊「阿弥陀三尊仏」はここから移されたものと伝えられ、両方に詣でるのが習慣だといわれます
宝物殿には、本尊がおかれてあり御座光の臼や、雪舟筆の(寒山拾得)、狩野常信作の(大日如来図)などもある。
 一度詣れよ元善光寺、善光寺だけでは片詣り、1400年前飯田座光寺の本田善光が、難波の堀の中から阿弥陀如来像を見つけ郷里に祀ったのが善光寺の由来といわれます。
 その後天皇の勅命により本尊は長野の善光寺に移ったが、元善光寺には複製した木彫りの如来像が安置されています。
 座光の臼(元善光寺の霊宝):善光卿が御本尊様を難波より迎えてお祭りするとき、この臼の上に安置して供養せられること41年の長い間で、この臼から光明が輝いていたと言われます。

 (ぼけ)の花と帽子を組み合わせ(ぼけぼうし)といったオリジナルのお守りが人気。秋は菊人形展( 10月 〜 11月 )が開かれ、大勢の参拝者で賑わう。

ドライブイン酒蔵
 元善光寺を出発すると、今きた道を全く裏返すように戻り、ドライブイン酒蔵に到着。ここでは、お酒の試飲が出来るという事で、おもにワイン、地酒、饅頭、菓子などをつまみ、特にワインは赤、白を飲み分けて楽しんでいた。 そこで、ワインをはじめ地酒、饅頭をお土産にと財布の紐を緩めて買っていた。
 外は相変わらずカンカン照りで、日差しが強く日影でなければいられないほどだ、日差しは東京よりも厳しく感じ気温も、さぞかし高かったのでしょう

山都飯田水引ドライブイン昼食場所
 水引の起りは古く飛鳥時代(607年)遣随使小野妹子が帰朝したおり、随の答礼使が携えてきた贈り物に海路の無事平穏を祈って紅白の麻紐が結ばれていた。この時から宮中への献上品はすなったのは平安時代のことです。
 
 すべて紅白の麻で結ぶ慣例となり、この麻は「くれない」と呼ばれていた。「水引」と呼ばれるようにこの風習がしだいに民間に広まり江戸時代には目的によって水引の色や結び方を変えるまでに、発展したとされています。
 飯田元結の起源については諸説ありますが、飯田藩主堀昌は、殖産興業の一環として飯田和紙に付加価値をつけるため、下級武士や町人・農民に、製造法を習わせたのが始まりと言われている。
 飯田の元結は、もともと品質の優れていることで評価を得ていましたが、美濃の国から紙漉き職人の、桜井文七を招き、元結製造に改良を加え光沢のある丈夫な品を作り出すと「文七元結」として全国にその名を知られるようになりました。
同様の製法で作られる水引は副業に過ぎませんでした。
 現在の相撲協会で使用されている力士の大銀髷も飯田元結が使用されています。
明治4年の断髪令によって元結の需要は激減し、変わって副業であった水引が生活向上に伴
生産量が増加しはじめました。

 最近では水引そのものの、製造はほとんど機械化されましたが、一つの製品・作品として細工する作業は、現在もすべて手作業(内職の主婦約一万人)で行われています。
 以前は紅白水引が主流でしたが、最近では祝儀袋など伝統的な物に加えて立体工芸結びの技術を使った美術工芸品としての評価も高まってきています。(資料=・=飯田市役所)

ご祝儀のお返し

 昼食もそこそこに世話人数名で、今朝ホテル阿智川で買ってきた、お返しの品物の整理をし、まず、ビニール袋40数個の品物とお礼状を入れ、名前をつけ号車別に分け、皆さんがバスに戻ってくるのを待ち、参加者には、直接お渡しし、また、祝儀だけをお預かりした方々には、お預かりした方が責任を持って御届する事にしました。

 集合時間には、全員が集まり、時間通りに出発。国道256号線に戻り飯田インター方面に進行し、インター前、そして国道153号線を横切り、細くて急な坂道を登り始めると、ポツポツと雨が降り始めてきました。

 道沿いの家では、留守番の主婦や子供が急いで洗濯物を取りこんでいた。雨は益々激しくバスのフロントガラスに音を立てて叩き付けていた。5分もしない内に三和観光農園の駐車場に到着した。

 雨は一向に こ止みにならなかったが、仕方なく傘をさして行くもの、そのまま濡れて農園の休憩所の中へ駆け出して行くもの様々だったが、皮肉にも全員が休憩所の中に入る頃には降り止み、そしてブルーベリー畑に行き、食べ放題を始めると再び、先程と同じようなニワカ雨が激しく降り始めた。またしても畑から大急ぎで戻ったが、靴やズボンの裾は泥だらけだった。

 休憩所に戻ってくると、テーブルの上には、入れ物にいっぱい入ったブルーベリーがあり、そこで腹いっぱい試食した。農園の人が言うには、10粒ぐらいを一気に入れて噛み、皮だけを後からホキ出すという、食べ方が一番おいしい食べ方だそうだ。

 お腹がいっぱいになる頃には、雨も止み今度はラベンダー畑に行きラベンダーを一人20本まで摘んでもOKだった。また、残って売店で、摘みたてのブルーベリーやジュース、ジャム。リンゴのジュース、ジャム。その他いろいろあった。お土産に持ち帰る者、宅急便でお送る者、見ていると見事な買い物だ(世の中の不景気は一帯どうなっているのだ)。

 農園の1年は

春は、淡いピンクの蕾と白いリンゴの花、リンゴの花は5月が満開
夏は、ブルーベリーの小さな甘酸っぱい
青紫色の実がうまいラベンダーの
クールな香りが、旅の心を和らげてくれる
口の秋は、たわわに実る高原りんご、
もぎたての実をそのまま頬張れば、
中に信州の味がする
冬は信州の数多き温泉で鋭気を養って、また、若者はスキー、スケートで

 ●●ブルーベリーの歴史と効果

 ブルーベリーはヨーロッパでは古くから糖尿病や泌尿器の病気などに使用されました。また、第2次世界大戦中に英空軍のパイロットが夜間飛行のときに目が見えるようになったという話は有名で、それ以降はイタリアやフランスの学者たちがブルーベリーの機能に関する研究を始めました。
 その研究の結果、ブルーベリーには青紫色の15種類のアントシアニン配糖体(VMA)が含まれており、それが目に対する暗順応促進機能があることが判明しました。
 ブルーベリーの目に対する効果は24時間で消えるといわれ、1日当たり約10g〜20g程度を毎日食べると効果が持続します。

≪ブルーベリーの食べ方≫
ブルーベリーはアメリカではサラダやジャムまたはケーキ、パイなどの焼き菓子に使われています。また、ドライフルーツとしてそのまま食べることも多いです。
 最近ではヨーグルトなどにブルーベリーを少量のお湯につけもどしてトッピングに使われます。また、赤ワインに2〜3日間漬けて、赤ワイン共ども食するのもブルーベリーの新しい食べ方です。 

≪ブルーベリー目の疲れ回復 大阪外語大保健センター

 ブルーベリーが眼精疲労に著しい改善効果があることを、大阪外語大学保健管理センターの梶本修身氏が臨床試験で明らかにしました。
 これまで、目に良いとの報告は、体験や成分分析などでありましたが、客観的データが出たことで、注目されてきた機能性食品としてPRする際の重要な要素となります。
 このほど都内で開かれた第2回ブルーベリー機能性シンポジウムで明らかにしました。
 梶本氏は、眼精疲労を自覚する20人を、ブルーベリーエキス入りのカプセルを飲むグループと、プラセボ(ブルーベリーエキス入りのカプセルと外観と味が全く同じ軟カプセル)を飲むグループに分けました。
 4週間経過後に入れ替え、その後の評価を医師が問診する方法と、フリッカーテスト(光のちらつきなどを見せて疲労度などを見る)でどう変わるかを見ました。
 この結果、自覚症状の評価尺度が11項目ある中で「目の疲労感」「目のかすみ」「物がちらついて見える」「肩凝り、腰の凝り」「イライラする」「頭が重い」の6項目で、ブルーベリーの投与が、一段階評価が良くなる「改善」効果が認められ、特に「目の疲労感」「肩凝り、腰の凝り」では「顕著な改善」効果を示しました。
 眼精疲労の改善度は、ブルーベリー投与グループで「改善」以上が20例中14例もありました。
 フリッカーテストでもブルーベリー投与によって、フリッカー値の平均が高くなっており、疲労を改善していることを示しています。ただ、視力そのものには影響を与えないとの結果も出ています。
 自覚症状だけでなく、フリッカーテストでも明らかに著しい改善効果が見られたことで、「ブルーベリーに含まれるアントシアニン配糖体が、ロドブシンの再合成を促進させ、低下していた視機能を回復させる働きがあることが示唆された」と梶本氏。「機能食品として売り出す場合、基礎データがあるほうが有利。ブルーベリーはイメージもいい。今後有望」とも指摘しました。
                           ≪日本農業新聞 平成10年4月26日(日)より≫