2日目
伊勢志摩屈指真珠の大型専門店
伊勢の風習・風土 世古(せこ) 世古は人々の姿や生活を身近に感じることができ、昔ながらの物が今もいきづいていて、短く曲がりくねった道は、少し歩けば曲がり角にぶつかり、その先にどんな景色が飛び出すか楽しみになる。 世古の由来には、世古は「迫」と同義で、両方から迫りあった細い道を意味したとか、セ・・・「狭い」、コ・・・「処」、すなわち「狭処」(せこ)が世古に転化したものではないかなど様々な説がある。 注連飾り(しめかざり) それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れるといい残した」という伝説があるからで、蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうで、つまり、家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符。 ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったといわれている。 伊勢には日本の精神文化の発信地・伊勢神宮があり、古くから「日本人の心のふるさと」と親しまれてきた。 自然を愛する心、先祖を敬う心を原点とする日本の文化も、ここ伊勢の地を源としているといえる。 その本質は、飾り気のないありのままを良しとする考え方。つまり、伊勢は「生成り文化」のまちと位置 付けられる。 おかげ参りに象徴されるように、伊勢には津々浦々から多くの人が集い、さまざまな出会いと交流が生 まれてきた。 伊勢はコンベンション(集会・交流・観光)の「はじまりのまち」でもありる。 二十年に一度の遷宮を契機にはじまりのまち「伊勢」は活力を甦らせ、そこに住む人や訪れる人々に、 永遠に変わることのない「日本のこころ」を伝えつづけている 伊勢神宮前の駐車場を予定の12時10を18分もオーバーして出発した。国道23号線を浦田の交差点 で左に曲がった。右に猿田彦神社を見ながら、1300mも行くと、伊勢自動車道西伊勢ICに入った。ザワ ついていた車内が落ち着きを取り戻したところで、昨日注文してあった赤福が各人に渡され、ホッとした のか昼食後の一寝入りとばかり不覚にも寝入ってしまった。 宮川を渡り、玉城IC、多気PA、国道42号(熊野街道)やJR紀勢本線、勢和多気JCT、多気トンネル、松坂市に入り松坂トンネル、国道166号(和歌山街道)、三渡川支流を越すと松坂IC,嬉野PA、中村川先の一志嬉野IC、雲出川支流、雲出川、国道165号線、久居IC、岩田川の3本の支流を渡り、津IC、そして出発して36分後の午後1時4分に目が覚めた安濃SA、3分後には芸濃ICに来た。 孝行鰻 伊勢鰻屋事始(民話)
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鈴鹿市に入り、午後1時10分には伊勢関ICを過ぎ右にカーブする。短い木下トンネル斜めに跨ぐように乗り越えた国道25号線(名阪国道)、国号144号農免農道、そして鈴鹿川を越えると並行していた国道25号は右に90度カーブして国道1号東海道のバイパスとなる。国道1号線(東海道)の先に亀山ICは1時13分だった。坂を上る一方で上がってきたせいか何時しかバスのワイパーは動き始めていた。
間もなく亀山Pで、最近アチコチで見かけるスマートIC、右へ右へとカーブし、何度かSカーブがあって1時16分には亀山JCT、左大阪128キロ・伊勢湾岸59キロ気が付くといつの間にか東名阪自動車道になっている。後で家で調べてみると、伊勢自動車道は(伊勢市楠部町・伊勢インター〜津市芸濃町楠原・伊勢関インター間)であることが分かり、伊勢関IC〜名古屋市緑区大高町別所山・名古屋南インター間となっていた。
鈴鹿市(1時17分)の標識から3車線となったが、急坂用の上り1車線が加わり、急坂は約1キロ続き、その間に国道306号線を跨いで3分後には、鈴鹿ICは1時20分通過した。豊田まで40分という。表示も目に入った。ショボショボ降っていた雨も四日市まで2キロという辺りで上がった。
矢合川、近鉄湯ノ山線(1時25分)、国道477号線、三滝川を過ぎ1時27分には湾岸道まで18キロの標識を見た。2分後の29分には御在所SA、気が付くと四日市東まで3車線になっていたが、この間はタッタ1分ばかりだった。そして2分後には四日市JCTに来た。名古屋方面への本線は真直ぐに、ここから始まる伊勢湾岸自動車道は左にそれて本線の下を通り右側にり、90度ぐらいあっという間に離れてしまう。
2分後の1時33分には、みえ朝日IC、JR関西本線、近鉄名古屋線、国道1号線(東海道)などを越える高速道はかなりの高さとなり、中部電力川越火力発電所の2本の煙突が右に見え出し、左には桑名市との境を流れる員弁川とその5倍位はある揖斐川先の長島スパーランドのジェットコースターも見える。高速道の下は、みえ朝日ICから、みえ川越IC間は国道1号線(東海道バイパス)になっている。3分後には通過し、湾岸桑名には1分後、そして、揖斐川を越し湾岸長島ナインターサービスエリアには3分後到着し、足湯につかりバスに戻りと1時58分にはサービスエリアを出発した。
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名港トリトン
午後2時には木曽川を渡っていた。矢継ぎ早にやってくるインターは弥富木曽岬インターが、1分後飛鳥インターがその後4分後、そして2分後には名古屋港中央インターだった。初めて通る高速道路だが、この辺も東京港と同じように次々に埋め立てられて出来た人工島に橋が架かり、大型船の出入りがスムーズに出来るように海面から目がくらむほど高い位置にある。3色に塗り分けられた橋は名港トリトン西大橋で赤く塗られていて、758mの長さで桁下38m・そして、名港トリトン中央大橋は真っ白で、1170m桁下47m、最後が名港トリトン東大橋で、700m桁下40mという世界的にも大規模な往復6車線の海上斜張橋梁群である。また、世界有数の長大斜張橋が三橋連立しているのは世界的にも珍しい。
橋の下には名古屋臨海高速鉄道金城埠頭線も見える。端の素晴らしさと偉大さに見とれ、名港潮見インターは見逃してしまった。東海インター付近まで来ると、ここで帰りのビンゴを東海インターから2時9分に始めだした最初に72が出た。ワイガヤガヤと騒いでいる間に、貨物線や西知多産業道路を横断しインターを過ぎると名鉄常滑線、国道247号線を跨いだ。知多半島道路を跨ぐと大府インターになり、その1分後には名古屋南ジャンクションとなった。名古屋高速3号大高線が左から合流した。下を走る名四国道の入退線ができるようにもなっている。東海道本線や新幹線を相次ぎ跨ぎ、緩やかに右に左にカーブして、右に大きくカーブすると豊明・刈谷インターだった。早くも5分後には54が出て最初のビンゴが出た。国道23号知立バイパス(岡崎バイパスを経て豊橋バイパスに繫がり、東七根まで行っている)や名鉄名古屋本線に国道1号線を跨ぎ、右に大きくカーブして暫くすると、左にメリーゴーランドが見える。刈谷ハイウェイオアシスでランドマークになっている観覧車は、高さ約60m。冷暖房付のつりかごが36個。日中は鮮やかな赤い観覧車で、夜には7色の電飾がさまざまに模様をつくる。
名古屋市、大府市、刈谷市、豊田市、安城市にチョコッと入って、2時20分には豊田南ジャンクション、そして、東名に合流したのは2時25分だった。伊勢湾岸自動車道はそのまま直進して東海環状自動車道になる。この辺りから雨が降り出し、矢作川を渡ると岡崎市に入り、岡崎インターには33分、美合パーキングエリアには2時35分通過した。そして音羽蒲郡インターには41分、赤塚サービスエリアには46分通過したが、続けていたビンゴも一番最後の人が上がるまで続けやっとここで終了した。そして高速・東海道本線・国道1号線が並行して走るだする豊川市に入る。
豊川インターは49分、豊橋市、新城市に入り新城サービスエリア54分、宇利トンネル56分を出ると、合併で新浜松市になった三ケ日インターが3時01分通過、浜名湖2分、浜名湖サービスエリアが3分通過したがこの辺りでは雨は止んでいた。
東名高速旧豊橋料金所〜磐田IC
浜松西インターを3時08分に通過したが、行きにはここから一般道に出て浜名湖沿いに浜名バイパスに出た。11分には三方原、浜松インターは15分、そして天竜川を渡った。ここは磐田市で遠州豊田スマートインターサービスエリアで18分に通過した。1分もすると磐田インター、そして、大田川を渡ると袋井市で、袋井インター通過は21分だった。静岡カントリー袋井コースを過ぎると掛川市になる。
新幹線を跨ぐと間もなく小笠パーキングエリアとなり27分に通過した。2分後の29分には掛川インターとなる。ヤマハつま恋(つまごい・正しい名称)の南の端を掠め、
〒436-0011 静岡県掛川市満水2000
TEL:0527-24-1111(代) FAX:0527-62-0344
「つま恋」命名の由来は、橘為仲が小夜の中山
(日坂峠旧東海道の難所)で
ひとり旅寝の床についている時、
山中に響く鹿の鳴き声に、
都に残した妻を想い、詠ったもので、時の流れをこえて妻を慕う夫の心のひだが、
読む者の胸にしみわたる。“つま恋”はこれにちなんで
命名された。を過ぎ菊川インターには33分に通過した。
少しずつ坂はきつくなりカーブも小刻みになり、相良牧之原36分、トイレ休憩の牧之原パーキングエリアには38分到着、4時丁度には出発した。さすがに居眠りもなくここまで来たがウツラウツラとボンヤリし始めるとあっさり寝込んでいた。
ハッと目が覚めるとバスは富士川の上を走っていた。時刻は5時14分だった。その後も寝たり覚めたりで、臨時トイレ休憩の中井パーキングエリアで起こされた時刻は5時43分。10分休憩して出発すると、車はノロノロ走ったりで、臨時休憩したのが正解だった。当初の予定地だった海老名には6時6分到着した。15分休憩して出発したが大和トンネルまではノロノロ運転だった。
その後はまあまあの振興で川崎料金所、多摩川を渡り、渋谷近くまではよく走ったが、環状線近くになるとお決まりのノロノロ運転で、浜崎橋経由で走り7時23分に出発地に到着した。怪我も泣く無事に楽しんでこられ、いい旅行が出たことが何よりの喜びだった。