2日目






 鳥羽シーサイドホテルを出て一方的に坂を下り、二級河川の加茂川に架かる安楽大橋を渡り、国道167号線から鳥羽フェリー乗場から国道42号線入り、JR・近鉄鳥羽駅前を過ぎ左にカーブし、長くユッタリしたS字カーが終わった鳥羽商船高等専門学校を過ぎ、伊勢志摩真珠館前を通り、5分とかからない伊勢志摩中央市場ザ朝市のハクタカ水産で海産物の買物をして、通り過ぎてきた伊勢志摩真珠館に立ち寄った。

伊勢志摩中央市場ザ朝市 (住所:〒517−0014三重県鳥羽市堅神町1−11)

 午前8時50分着〜9時7分発

 



伊勢志摩真珠館
 ◆ 〒517-0014三重県鳥羽市堅神町545番 
 ◆ 電話:0599-21-0077 FAX:0599-21-0078
 ◆ 営業時間:8時〜17時(年中無休) 
 ◆ 駐車場スペース:大型バス30台、乗用車20台 

 午前9時10分着〜9時38分発 

伊勢志摩屈指真珠の大型専門店
真珠の専門店として27年前に二見で創業し、今の場所に移ってからも13年。伊勢志摩の地場産業として誇れる商品だけを厳選して販売し、広い店内には、およそ10,000点の真珠アイテムが常時展示され、土産用にピッタリのお手頃なものから、永くつきあいたいパートナージュエリーと呼べる最高級品まで、養殖真珠が可能となった現在でも、巻き・光沢に優れ、色形共に良く、またキズのない最高品質の珠を「花珠(華珠とも書く)」と呼び、10mm以上ともなれば一粒が数千万円に及ぶものもあるそうで、同館にもある花珠は、防犯上聞かない限り教えてもらえない。

200インチの大迫力画面
 アコヤ貝が真珠をつくる原理を地球環境問題も織り込み、わかりやすくビジュアル化した物語。海の神秘や、真珠がいかに奇跡から誕生した貴重な宝石なのかがわかる。海外から訪れる人も増加し、中でも中国本土からの観光客はめざましく、「真珠」は中国語になると「珍珠」と書くらしい。

ミクロン単位の彫金加工と匠の技
 真珠の選別や穴開け、連組など「真珠加工場」の作業を間近で見学でき、宝石になる前の真珠を知り、多くの人の手と技術を介して美しくなる行程を垣間見、高度な技術を修得した熟練工による彫金加工の過程も見ることができる。

壁面にアコヤ貝が輝く
 女性用パウダ−ル−ムの壁にはアコヤ貝を敷き詰め、煌めく空間を演出している。余談だが、真珠を取られた後のアコヤ貝の運命をご存じだろうか?。懸命に真珠を育てる代わりに自身の身を削るのか貝柱以外は食べられたものではない。しかし貝柱はどんな料理にも合い、ソテーでも、ご飯と一緒に炊き込んでも旨い。ご当地で「真珠ご飯」と呼ばれ
ている。

真珠館の人気ベスト3
 ダイヤモンドなどの陰に隠れがちな真珠の存在。
そこはかとなく神秘的に輝くその不思議な光は、、主張しすぎない存在が魅力と、コーディネイト次第でカジュアルシーンにもマッチする幅広さが再認識されている。
第1位 Yラインネックレス
第2位 伊勢志摩真珠館限定ネックレス
第3位 コスイパール


 当館の外壁に使用されている外壁は1892年頃から100年位使用されてたイギリスの古レンガを使用され、また、雨に当たると色が変わって普段とは違う雰囲気を醸し出す、一見の価値あり!



伊勢神宮北緯:34度27分17.9秒・東経:136度43分33.1秒)伊勢市宇治館町1
  内宮(皇大神宮):天照大御神 ご神体 八咫鏡(三種の神器の一つ)
  
  相殿神:天手力男神、万幡豊秋姫命
  外宮(豊受大神宮):豊受大御神
  
  相殿神:御伴神3座


聖界と俗界との架け橋といわれる宇治橋は、五十
鈴川に架けられた全長101.8mの純日本風木造
反り橋。宇治橋の外側と内側に立つ鳥居は、外宮
・内宮それぞれの旧御正殿の棟持柱(むなもちば
しら)が使われている

参拝をする前に五十鈴川の清流で心身を清めると
ころ。

「唯一神明造」(ゆいいつしんめいづくり)という日
本古来の建築様式を伝える御正殿。屋根は萱葺
きで、10本の鰹木(かつおぎ)がのせられ、先端
が水平に切られた4本の千木(ちぎ)が高くそびえ
ている。
唯一神明造は檜の素木を用いて高床式の穀倉の
形式から発展したものといわれ、現在まで脈々と
受け継がれている

参道沿いにある銅板葺、入母屋造(いりもやづくり)
の大きな建物。神楽を奉奏する神楽殿、御饌(みけ
)を供えて神さまにお祈りする御饌殿、お神札・お
守り・神宮暦・御朱印の授与などを行っている神札
授与所が並んでい
る。


数ある内宮の別宮の中でも御正宮と同じ平成25
年に遷宮が行われる最も格式の高い別宮。天照
大御神(あまてらすおおみかみ)の荒御魂(あらみ
たま)(神の特別な働きをする状態、または神が現
れる状態)をおまつりしている。
困った時に助けてくださる神様、長生きさせてくだ
さる神様と地元では昔から信仰が厚いお宮


風の神をまつる別宮です。
鎌倉時代の2度に亘る元冦(げんこう)の時、神風
(かみかぜ)を起こして日本を守ったといわれる神
です。

伊勢の風習・風土

切妻造り(きりつまづくり)

 書物を開いて伏せたような三角形の屋根を持つ家。伊勢の民家には切妻、妻入りが多く、のこぎり状の屋根からはリズム感を感じる。
 その理由は、神宮の正殿が平入りなので、神宮と同じでは「畏れおおい」ためとか、道路に面する関係上、間口が狭く奥行きの深く細長い敷地が多かったことが、切妻入りの建物を普及させたのだといわれている。
 屋根は「伊勢瓦」と呼ばれる伊勢特有の瓦で葺かれ、二階部には「張り出し南張り」と呼ばれる外囲いが設けられていて、また、一階の軒庇の先端には「軒がんぎ板」という垂木の鼻隠しがすえられ、これがまちなみに連続性を持たせる大きな要因となっている。

世古(せこ)

 伊勢の道を歩くと家々の間を縫うように小さな路地がたくさん目につき、伊勢ではこれを世古と呼び、江戸時代から明治時代にかけて名前が付いているものだけでも130以上あったと記録されている。しかし戦後、大半の世古は拡張されるなどして姿を消してしまった。それでも、現在に残るものを見ると世古が暮らしの中に生き続け、子供達の遊び場になっている。
 世古は人々の姿や生活を身近に感じることができ、昔ながらの物が今もいきづいていて、短く曲がりくねった道は、少し歩けば曲がり角にぶつかり、その先にどんな景色が飛び出すか楽しみになる。
 世古の由来には、世古は「迫」と同義で、両方から迫りあった細い道を意味したとか、セ・・・「狭い」、コ・・・「処」、すなわち「狭処」(せこ)が世古に転化したものではないかなど様々な説がある。

注連飾り(しめかざり)

 伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが掲げてあるのが目につく。中央に「蘇民将来子孫家門」あるいは「笑門」「千客萬来」などと墨書きした門符(木札)が付き、左右にシデやウラジロなどを飾った太い注連縄で、正月の注連縄飾りは普通は松の内が過ぎればはずすのが一般的ですが、伊勢志摩では、一年間かけたままで過ごす風習がある。
 それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れるといい残した」という伝説があるからで、蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうで、つまり、家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符。
 ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったといわれている。

 伊勢には日本の精神文化の発信地・伊勢神宮があり、古くから「日本人の心のふるさと」と親しまれてきた。
 自然を愛する心、先祖を敬う心を原点とする日本の文化も、ここ伊勢の地を源としているといえる。
 その本質は、飾り気のないありのままを良しとする考え方。つまり、伊勢は「生成り文化」のまちと位置
付けられる。
 おかげ参りに象徴されるように、伊勢には津々浦々から多くの人が集い、さまざまな出会いと交流が生
まれてきた。
 伊勢はコンベンション(集会・交流・観光)の「はじまりのまち」でもありる。
 二十年に一度の遷宮を契機にはじまりのまち「伊勢」は活力を甦らせ、そこに住む人や訪れる人々に、
永遠に変わることのない「日本のこころ」を伝えつづけている


 伊勢神宮前の駐車場を予定の12時10を18分もオーバーして出発した。国道23号線を浦田の交差点
で左に曲がった。右に猿田彦神社を見ながら、1300mも行くと、伊勢自動車道西伊勢ICに入った。ザワ
ついていた車内が落ち着きを取り戻したところで、昨日注文してあった赤福が各人に渡され、ホッとした
のか昼食後の一寝入りとばかり不覚にも寝入ってしまった。

 宮川を渡り、玉城IC、多気PA、国道42号(熊野街道)やJR紀勢本線、勢和多気JCT、多気トンネル、松坂市に入り松坂トンネル、国道166号(和歌山街道)、三渡川支流を越すと松坂IC,嬉野PA、中村川先の一志嬉野IC、雲出川支流、雲出川、国道165号線、久居IC、岩田川の3本の支流を渡り、津IC、そして出発して36分後の午後1時4分に目が覚めた安濃SA、3分後には芸濃ICに来た。

孝行鰻 伊勢鰻屋事始民話)


伊勢路二見ヶ浦〜伊勢自動車道 安濃SA

 


 鈴鹿市に入り、午後1時10分には伊勢関ICを過ぎ右にカーブする。短い木下トンネル斜めに跨ぐように乗り越えた国道25号線(名阪国道)、国号144号農免農道、そして鈴鹿川を越えると並行していた国道25号は右に90度カーブして国道1号東海道のバイパスとなる。国道1号線(東海道)の先に亀山ICは1時13分だった。坂を上る一方で上がってきたせいか何時しかバスのワイパーは動き始めていた。

 間もなく亀山Pで、最近アチコチで見かけるスマートIC、右へ右へとカーブし、何度かSカーブがあって1時16分には亀山JCT、左大阪128キロ・伊勢湾岸59キロ気が付くといつの間にか東名阪自動車道になっている。後で家で調べてみると、伊勢自動車道は(伊勢市楠部町・伊勢インター〜津市芸濃町楠原・伊勢関インター間)であることが分かり、伊勢関IC〜名古屋市緑区大高町別所山・名古屋南インター間となっていた。

 鈴鹿市(1時17分)の標識から3車線となったが、急坂用の上り1車線が加わり、急坂は約1キロ続き、その間に国道306号線を跨いで3分後には、鈴鹿ICは1時20分通過した。豊田まで40分という。表示も目に入った。ショボショボ降っていた雨も四日市まで2キロという辺りで上がった。

 矢合川、近鉄湯ノ山線(1時25分)、国道477号線、三滝川を過ぎ1時27分には湾岸道まで18キロの標識を見た。2分後の29分には御在所SA、気が付くと四日市東まで3車線になっていたが、この間はタッタ1分ばかりだった。そして2分後には四日市JCTに来た。名古屋方面への本線は真直ぐに、ここから始まる伊勢湾岸自動車道は左にそれて本線の下を通り右側にり、90度ぐらいあっという間に離れてしまう。

 2分後の1時33分には、みえ朝日IC、JR関西本線、近鉄名古屋線、国道1号線(東海道)などを越える高速道はかなりの高さとなり、中部電力川越火力発電所の2本の煙突が右に見え出し、左には桑名市との境を流れる員弁川とその5倍位はある揖斐川先の長島スパーランドのジェットコースターも見える。高速道の下は、みえ朝日ICから、みえ川越IC間は国道1号線(東海道バイパス)になっている。3分後には通過し、湾岸桑名には1分後、そして、揖斐川を越し湾岸長島ナインターサービスエリアには3分後到着し、足湯につかりバスに戻りと1時58分にはサービスエリアを出発した。

伊勢湾岸自動車道 上り 湾岸長島PA→名古屋南JCT

 



名港トリトン

午後2時には木曽川を渡っていた。矢継ぎ早にやってくるインターは弥富木曽岬インターが、1分後飛鳥インターがその後4分後、そして2分後には名古屋港中央インターだった。初めて通る高速道路だが、この辺も東京港と同じように次々に埋め立てられて出来た人工島に橋が架かり、大型船の出入りがスムーズに出来るように海面から目がくらむほど高い位置にある。3色に塗り分けられた橋は名港トリトン西大橋で赤く塗られていて、758mの長さで桁下38m・そして、名港トリトン中央大橋は真っ白で、1170m桁下47m、最後が名港トリトン東大橋で、700m桁下40mという世界的にも大規模な往復6車線の海上斜張橋梁群である。また、世界有数の長大斜張橋が三橋連立しているのは世界的にも珍しい。

 橋の下には名古屋臨海高速鉄道金城埠頭線も見える。端の素晴らしさと偉大さに見とれ、名港潮見インターは見逃してしまった。東海インター付近まで来ると、ここで帰りのビンゴを東海インターから2時9分に始めだした最初72が出た。ワイガヤガヤと騒いでいる間に貨物線や西知多産業道路を横断しインターを過ぎると名鉄常滑線、国道247号線を跨いだ知多半島道路を跨ぐと大府インターになり、その1分後には名古屋南ジャンクションとなった。名古屋高速3号大高線が左から合流した。下を走る名四国道の入退線ができるようにもなっている。東海道本線や新幹線を相次ぎ跨ぎ、緩やかに右に左にカーブして、右に大きくカーブすると豊明・刈谷インターだった。早くも5分後には54が出て最初のビンゴが出た。国道23号知立バイパス(岡崎バイパスを経て豊橋バイパスに繫がり、東七根まで行っている)や名鉄名古屋本線に国道1号線を跨ぎ、右に大きくカーブして暫くすると、左にメリーゴーランドが見える。刈谷ハイウェイオアシスランドマークになっている観覧車は、高さ約60m。冷暖房付のつりかごが36個。日中は鮮やかな赤い観覧車で、夜には7色の電飾がさまざまに模様をつくる。

 
名古屋市、大府市、刈谷市、豊田市、安城市にチョコッと入って2時20分には豊田南ジャンクション、そして、東名に合流したのは2時25分だった。伊勢湾岸自動車道はそのまま直進して東海環状自動車道になる。この辺りから雨が降り出し、矢作川を渡ると岡崎市に入り、岡崎インターには33分、美合パーキングエリアには2時35分通過したそして音羽蒲郡インターには41分、赤塚サービスエリアには46分通過したが、続けていたビンゴも一番最後の人が上がるまで続けやっとここで終了した。そして高速・東海道本線・国道1号線が並行して走るだする豊川市に入る。

 豊川インターは49分、豊橋市、新城市に入り新城サービスエリア54分、宇利トンネル56分を出ると、合併で新浜松市になった三ケ日インターが3時01分通過、浜名湖2分、浜名湖サービスエリアが3分通過したがこの辺りでは雨は止んでいた。


東名高速旧豊橋料金所〜磐田IC

 浜松西インターを3時08分に通過したが、行きにはここから一般道に出て浜名湖沿いに浜名バイパスに出た。11分には三方原、浜松インターは15分、そして天竜川を渡った。ここは磐田市で遠州豊田スマートインターサービスエリアで18分に通過した。1分もすると磐田インター、そして、大田川を渡ると袋井市で、袋井インター通過は21分だった。静岡カントリー袋井コースを過ぎると掛川市になる。

 新幹線を跨ぐと間もなく小笠パーキングエリアとなり27分に通過した。2分後の29分には掛川インターとなる。ヤマハつま恋(つまごい正しい名称の南の端を掠め、
 
〒436-0011 静岡県掛川市満水2000
 TEL:0527-24-1111(代) FAX:0527-62-0344

  「つま恋」命名の由来は、橘為仲が小夜の中山 (日坂峠旧東海道の難所)で ひとり旅寝の床についている時、 山中に響く鹿の鳴き声に、 都に残した妻を想い、詠ったもので、時の流れをこえて妻を慕う夫の心のひだが、 読む者の胸にしみわたる。“つま恋”はこれにちなんで 命名された。を過ぎ菊川インターには33分に通過した。

 少しずつ坂はきつくなりカーブも小刻みになり、相良牧之原36分、トイレ休憩の牧之原パーキングエリアには38分到着、4時丁度には出発した。さすがに居眠りもなくここまで来たがウツラウツラとボンヤリし始めるとあっさり寝込んでいた。

 ハッと目が覚めるとバスは富士川の上を走っていた。時刻は5時14分だった。その後も寝たり覚めたりで、臨時トイレ休憩の中井パーキングエリアで起こされた時刻は5時43分。10分休憩して出発すると、車はノロノロ走ったりで、臨時休憩したのが正解だった。当初の予定地だった海老名には6時6分到着した。15分休憩して出発したが大和トンネルまではノロノロ運転だった。

 その後はまあまあの振興で川崎料金所、多摩川を渡り、渋谷近くまではよく走ったが、環状線近くになるとお決まりのノロノロ運転で、浜崎橋経由で走り7時23分に出発地に到着した。怪我も泣く無事に楽しんでこられ、いい旅行が出たことが何よりの喜びだった。