渥美半島
(伊良湖岬)

『伊良湖岬とメロン狩り』

平成15年6月22日(日)〜23日(月)

参加人員:88名(バス2台)
車両長 1号車 佐藤守利
      2号車 箭野  豊

旅行扱者:大師観光(株)
東京都足立区西新井1−1−4〒123−0841
電話03−3890−2458 
FAX 03−3890−2459

バス会社:
kokusai motor cars

宿泊ホテル:伊良湖ビューホテル
 愛知県渥美郡渥美町大字日出骨山
1460−36
愛知県渥美半島伊良湖岬 
〒441−3623
電話0531−35−6111
・東京03−5828−4890

天気: 1日目 晴れのち一時雨
2日目 曇一時雨





 
 今年も月日はめぐり、88名にのぼる参加者があり、2台の観光バスに分乗して八広を午前7時30分に出発した。最終チェックを行った時点では、ほぼ満席の97名の参加者であったが、その後、病気で入院やら亡くなられたりで9名の方が不参加になりました。

 今回は渥美半島の伊良湖岬の山の上「伊良湖ビューホテル」で一泊する長距離ではあるが、当旅行会としては初めての行き先であるということからか、例年になく申込者があり、うれしい限りです。1号車は佐藤守利さんと2号車は私、両名が車両長だった。
 
 今朝は、衆議院議員の松島みどり御大、今年4月の区議会議員選挙で、最下位で当選し、議長に就任した出羽邦夫さん、墨田区議会民主クラブ代表江木義昭さんの3名が早朝からお見送りして頂き有難うございました。

 八広から首都高速6号線の向島ランプから上り線に入り渋滞もなく通り抜け、東名高速に入り第一回の休憩場所の「海老名サービスエリア」で20分休み、集合時間には全員が集まり時間通りに次の休憩場所へと向った。
  
 車中では、カラオケも始まり賑やかさは一段と盛り上がり、後から後からリクエストがあり、幹事はメモ帳に曲名を書き、まとめて5曲も6曲も書き込んでガイドに渡しては、また、ヨロヨロしながらも御用聞きをしていた。
  
 あっという間の1時間が過ぎると、2回目の休憩場所の「富士川サービスエリア」に到着。ここでも20分の休憩時間を取り、三々五々スッキリした様子でバスに戻ってきた。

桜えび

 バスが走り始めると、途中で切られたリクエストの続きが始まった。ここからは袋井にある「可睡斎」の参拝の為インターを出て見学した後、「袋井観光センター」での昼食。チラホロとおみやげを持って、そぞろ歩きの人、そそくさとバスに戻る人、お腹をさすりながら満足そうな人、様々な食後だった。
 
浜松基地

 そして、次は最近無料で開放されいる航空自衛隊の浜松基地の広報館へと向った。ここは航空隊発祥の地だそうで、全国広しといえどもここ1ヶ所だそうだ。先ず、バスを降りると、原寸大のジェット機の模型が頭の上を今まさに飛び立とうとしていた。ガイドの誘導で中に入ると見学コースがあり、無料にもかかわらず、回転棒が付いており一人が通過すると回転するという入場口があった。入口横の売店で孫の土産に航空機のバッジを4つ買った。

 1階はまず、照明されたジェット機、奥へ行くとタラップ代わりの階段を上がると操縦席と複雑な計器がライトアップされ、手の届く距離だったが、手に触れることは禁止されていた。
 
 コースの最後は階段とエレベーターがあった。3階まで上がると、写真の展示場だったが、一角に操縦のシュミレーターがあり、希望者にはテレビゲームのような3段階に難度が分かれたコースで、Fー15戦闘機で滑走から水平飛行そして一番難しい着陸まで行い、終了すると左下から一連の行為の成績がA、B、Cと書かれた紙片が出てくる。普段からパイロットには興味深かった私は、早速レベル:上級に挑戦した。成績は「A]という(君はベストガイ !)浜松自衛隊 浜松広報館2003年6月22日14:05と記入された紙片を貰った。

 階段を降り、2階へ来ると別棟の1階に展示されている飛行機は15機余りあり殆どが触れて機内にも入れて、操縦席や操縦桿、沢山ある計器などにも触れられて、子供などを連れて行ったら大喜びする所だろうとつぶさに思った。

 広報館の駐車場を右折して、基地の金網の塀を眺めながら2回右折をして、来た道と別れて左折して約半周し伊佐地川を渡り、伊佐見橋を渡り1q足らず進んで左折して、信号を4つ過ぎると左側に湖東高等学校を見ながら、信号8つ過ぎると左側に浜名湖が見え始め、右にカーブして7つ目の信号がある赤羽東の交差点をを左折して進むと、右左に浜名湖の入江が見え隠れしていたが、東海道新幹線、東海道本線のガード下を通過して国道1号線を横切って、馬郡インターチェンジから浜名バイパスへ進入した

 この頃になると雨も本格的に降りだし、浜名バイパスを西に進むと浜名湖の入り口に架かる浜名大橋は、小高くなっていて遠州灘から吹きつける横風がヒューヒューと音をたててバスの横っ腹に吹き付けて多少あおられていた。

 梅雨特有の雨空で、所々は薄明るくなっていたが、水平線は、ぼんやりしていたが、海中にはサーファーの群れが波に揺られていた。

 先ほど、横切った東海道井本線の右横には「舞阪駅」そして、浜名湖に浮かぶ「弁天島駅」の周りは、昔から別荘地や会社の保養地として知られているが、弁天島の国道1号線に面した道路沿いには温泉旅館やホテルが林立しているが、ここ浜名大橋から見るとさらによく見える。

 この辺りから、吾嬬旅行会恒例のビンゴゲームを始めた。カードを配り、モニターに映し出される番号に最初からドンドン当たり番号で、リーチになる人が多かったがビンゴの声はなかなか挙がらなかった。そこで、もし同時に多勢がビンゴという掛け声を挙げられるとふと心配事がよぎり、今まで通りジャンケンで順位を決めると、皆んなに継げ再会した。番号が出る度にビンゴはいないかとバスガイドの柳原美里さんが尋ねるが一向にビンゴの声は聞けなかったが、次の瞬間、4人が1度にビンゴだった。

 この会では、6年前の30周年記念旅行の時から始めた全員に当たる賞金が用意されている。封筒を2つ折りにした中に1位、2位、3位は別口の賞金が用意されているが、その次からは中身の金額が6種類に作ってある封筒を、入れ物の中から自分で引き出す方式なので恨みっこなし、開いて歓声が上がったり、そっと仕舞い込んだり、苦笑したりと様々で賑やかな小1時間です。

 さて、今日は1度に4人なので、早速ジャンケンで1,2,3位が決まり、1人だけが「いの一番」封筒を引き出した。また暫くビンゴの声は聞けなかったが、次から次と上がり最後のブービーメイカーには2人が同時にビンゴと声が上がり、またまたジャンケンで決めた。

湖西市

【西端の工業都市】県の最西端に位置。東と南には風光明媚な浜名湖と遠州灘、北西には赤石連山をひかえ、美しい自然に恵まれる。繊維工業を中心に発展してきたが、現在は自動車・電機産業を中心とした県下第4位の工業都市。農業近代化も進む。交通・輸送の要所で、西接する愛知県豊橋市と浜松市との結びつきが強い。
【都市基盤整備】既成市街地の幹線・生活道路、公園緑地、下水道などの整備、新たな市街地形成のため総合的整備を模索。景気低迷下での雇用対策、東海地震に備えた防災対策を進める。

【特産・地酒】豚、こでまり、うなぎ、軽自動車、おらんピッグ
(酒)これっきりごめん
【イベント】摩利支天大祭(2月)、愛LOVEウォークIN白須賀(3月)、湖西おいでん祭(8月)、国民体育大会(卓球)
【日本一】こでまり(花木)
【出身者】豊田佐吉(豊田自動織機の創設者)
 
 新居町、湖西市と進んで行くと以前は白須賀町辺りで、国道1号線に合流し、曲がりくねった勾配のきつかった坂道だった潮見坂も今では片側2車線のバイパスが完成して国道1号線の下を潜り抜け県境まで完成しており、一里山の交差点を左折すれば国道42号線の通称、伊良湖街道で愛知県の最東外れの豊橋市細谷町だ。
 
豊橋

疎開先
 


 細谷町、小島町、小松原町の右奥には東観音寺があり、国、市指定の文化財ある。


国指定重要文化財
         ●
多宝塔(明治40年5月27日指定)
高さ12.15mの総素木造りで、大永2年(1522)戸田氏の重臣藤田左京亮により寄進されたと伝えられています。建築は唐様と和様の折衷様式で、初層には多塔如来像が安置されています。
 ●木造阿弥陀如来坐像(昭和6年12月14日指定)
桧材による寄木造で、豊かな顔つきなどに平安時代の特徴が見られますが、体つ
きや写実的な衣の表現などに、鎌倉時代の作風がうかがえる。過度期の作品と思われます。過去に2回の大修理を受けています。

 ●金銅馬頭観音御正体(昭和34年6月27日指定)
円板形の光背に金銅製半肉彫の馬頭観音坐像を浮き立たせたものです。銘文から文永8年(1271)に鎌倉時代の御家人・安達泰盛によって寄進されたことが分かります。

市指定文化財

 
    ●麻地着色悟鑑西堂画像(昭和58年3月15日指定)
 
●麻地着色玉岫和尚画像(昭和58年3月15日指定)
悟鑑西堂・玉岫和尚はいずれも室町時代の住職です。画像は室町時代の地方の頂相としては貴重な例です。
●紙本着色東観音寺古境内図(昭和58年3月15日指定) 
海岸近くにあった頃の当寺の境内図で、描かれた人々に当時の風俗をうかがうことができます。
 ●東観音寺の仮面(昭和42年2月17日指定)
鎌倉〜南北朝時代の作で舞楽に使用したものと考えられています。

 ●木造ニ天像(昭和55年1月16日指定)
持国天と多聞天で、平安時代の作といわれる蛇彫の立像です。

 ●東観音寺の鰐口(平成元年3月24日指定)
銘文から、細谷住人九郎三郎によって天文2年(1533)に寄進されたことが分かります。

 ●紺紙金泥法華経普門品(昭和60年3月20日指定)
鎌倉時代に源頼朝が熊野本宮に奉納した経典の一つと伝えられ紺紙に金泥で経文が記されています。

 ●銅鐸紐(昭和61年3月28日指定)
弥生時代後期のものと推定され、紐だけが伝えられています。静岡県湖西市白須賀から出土しました。
 ●古版木(昭和60年3月20日指定)
多宝塔と馬頭観音彫刻して2枚が伝えられています。室町時代のものです。
 

●東観音寺中世文書(昭和60年3月20日指定)
戸田・今川両氏を中心とする戦国武将らが当寺に発給した文書類で、32点が残されています。
 

 寺沢町、東七根町、西七根町、高塚町、伊古部町、東赤沢町、西赤沢町と過ぎ、田原町の百々から右折して、田原街道を北上して市場交差点を過ぎ、295号線バイパスと交差する郷中交差点を左折して、道の駅「田原めっくすはうす」で、土砂降りの中で20分のトイレ休憩をした。隣の瀟洒で気になる建物は「JA渥美病院」だった。ここの休憩場所は予定には無かった所だったが、浜松の航空自衛隊広報館から今日の宿、伊良湖ビューホテルまでの時間が、長かったので急きょ寄ることなった。

 道路右側には、蔵王山(標高250b)、衣笠山(標高278b)、藤尾山(標高208b)などのこの辺りでは、小高い山が連なって見えた。赤石西、洲田、洲田西、稲垣、大久保南で右折して渥美農高前の大久保交差点を左折して、295号線の旧道に入り、大久保西、野田保育所北、野田小前、馬草口の信号を過ぎると大きく左にカーブして、野外センター前を過ぎると、右に三河湾の海が一望することが出来た。

 この港は、宇津江漁港で、となりが宇津江海水浴場、泉港を過ぎると海岸線とはさよならし江比間の信号を見やり、立川橋、伊川津、石神まで来ると再び海が見えた。浜の名は「夕陽が浜」、高木東の交差点の信号までは、暫く間見えていたが、ここから渥美町だ。信号も高木、西原畑、山田までは間隔があったが、吉田、渥美消防署前、畠神社前、高田、保美、西原辺りまでは、間隔が短く信号だらけだった。亀山、梅薮、伊良湖神社北を過ぎると、右に、伊良湖シーサイドゴルフクラブがあり、宮下の信号を過ぎると伊良湖海水浴場、伊良湖ガーデンホテル、左に宮山原生林、伊良湖港入口の信号の右にはフェリー乗り場、左には、伊良湖ホテル、再び表浜で渥美半島の最大見せ場、「恋路ヶ浜」が、伊良湖ビューホテルの下まで雄大な眺めだった。

 晴れていれば、海岸の砂浜に下りて記念写真を撮る予定であったが、あいにくの天気で撮影は又の機会となってホテルに直行となった。ホテルの坂道を上がる途中に日の出の石門を見、島崎藤村の歌碑の案内が、バスガイドからあった。到着時間は予定より30分送れ、当然宴会時間も30分遅れの6時30分になった。
  
 玄関に付けになると、中村弘総支配人、杉本芳光接客課支配人、橋本正人接客販売課フロント・キャッシャー係や女性接客係の皆さんが迎え出てくれていた。雨は止んでいたがロビーで1号車から記念写真を撮り、2号車が撮り終える頃には三々五々エレべーターや階段で5階の各々の部屋に向っていた。
 
 風呂は露天もあり晴れていたら、かすんで見える「三島由紀夫の潮騒で有名な神島」はおろか鳥羽まで見える筈だが、今日はどんより雲が垂れ下がっていた。 

 風呂から上がると、会長、会計と待合せ時間にみやげ物売場で落ち合い、ご寄付して頂いた方々へのお返しの品物を選び、3階の宴会場の下見に向い、会場は、普段結婚式の披露宴を行う所で、従来の「畳の上」で正座して行うところではなかった。ジュウタンが敷かれたフロアに丸いテーブルと椅子という36回目にして初めての経験だが、あらかじめ席決めがしてあるのでグループがマチマチになることは避けられるメリットはあった。

 舞台は設えられたものが、チョット小さく見えたので石井良雄料理課総料理長に頼み大きくしてもらい、マイク、テープの音響テスト、入口前にジャンケン大会の参加賞を載せるテーブルや舞台横には、抽選会の賞品載せるテーブルなど入念にチェックし終わる頃には、もう続々と入口前に集まってきていたが、皆んなに今日は席決めしてあるから、「もっとゆっくり来ればいいのに」というと「何時もの癖で」と苦笑していた。

 「すみだ音頭」のテープを流し、ジャンケン大会の参加賞と抽選会の番号札を貰って、前もって決められた各テーブル着席して頂き、全員が入場し終えたかと思えば、3名がまだ来ておらず部屋へ電話をしてもらったが、部屋にはおらず、しばらく待って全員集合で開演した。

 式次第通り、開会、小川房男会長、来賓(日興信金柳田稔墨田支店店長)のあいさつ、平子力会計の報告、長井功副会長の乾杯の発声で第1部終了。

 第2部は、10分後に岩井義治副幹事長の司会で1番先に日本舞踊で、久保栄子さんの「命の花」を皮切りに、川合あさゑさんの「晴れ舞台」の日本舞踊が続き、3番目が同じく日本舞踊で「しのぶ」を細野恵美子さんに舞ってもらい、自前の衣裳で出演の3組の舞いを披露し、以後は全てがカラオケで、4番吉原京子さんの「コモエスタ赤坂」、5番目が山下尚利さんの「ふたり酒」、続いて6番が久保田浩一さんの「真夏の果実」、7番目が小暮ソノ子さんの「東尋坊」、次はお待たせデュエットの8番大戸三郎さんと久保栄子さの「赤いグラス」、9番目が上田典子さんの「なみだの桟橋」、最後の10番目は何時もにぎやかく盛り上げて頂いている岩船初子さんの「お祭りマンボ」で、一先ず演芸は終了し、引き続きジャンケン大会&抽選会に移り、進行役は、箭野豊幹事長によって進められた。

 今回は、丸テーブルということで各テーブル予選会を行い、テーブル代表として勝ち残った1人が、舞台まで上ってもらい、12人でジャンケンを行うことになったが、数えて見ると13人が舞台の上に立っていた。誠に不思議な状況になっていたが、各テーブルごとに代表者を聞いていくとあるテーブルから2人の方が出ていて、訪ねると一人の方が自主的に席に帰られて、第1回目の勝ち抜き戦が始まった。

 先ず、ひとり一人が相手を探し、6組が出来勝負して勝ち負けの2組に分かれてもらい、負け組の6人で3組になり、ジャンケンをして負けた3人には自分の席にお帰り願って、先ほど勝った6人でジャンケンをして貰い、負けた3人には敗者で勝ち残った3人と合せて、3組でジャンケンをし、敗者の方々にはお席にお引き取り願い、勝ち残った3人で勝ち残るまでジャンケンをして貰い、たった一人が敗者優勝とし、負けた2人には自席へ、勝ち残りの3人には、3回勝つまでジャンケンをしてもらった。その結果優勝は「吉野美佐代」さん、2位が「徳山康彦」さん、3位が「本多清司」さん、敗者優勝は「相田忠作」さんの方々だった。

 引き続き行われた抽選会には、日興信用金庫様、大師観光様、オガワ商店様、石井精工様、行方ゴム工業様、加藤様、佐藤様、金山様、箭野様の以上10名様より提供して頂きました。総数47本という多き数があり、予め決めていった番号を読み上げるという抽選になりました。

 1番先に読み上げられた番号は、44番でした。この番号は幹事長の私が持っていましたが、何気なしに受け取ってテーブルの上に置いた札が、まさか当たるとは思いも寄らぬことだったが、当選は当然辞退して再開し32、47、11、71と当選番号を読み上げて行った。ときどき、歓声も上がり、終わってみれば平均8人掛けのテーブルで7人も当たった所、1人しか当たらなかった所と様々だった。マイクは再び司会の岩井さんにお返しします。

 この間、席を立って先に部屋に戻られた方はひとりもいない盛況だった。ご飯も用意され、しばしお食事タイムとして一息入れ、最後のお楽しみは、我ふるさと墨田区の「すみだ音頭」を3回流し、大きな輪になって、盆踊り気分を満喫して、川合副会長の音頭で3本締めでお開き。

 朝起きると空は薄曇で、僅かばかり薄日も差し屋上に行きデジカメで「恋路が浜」の写真を撮り、一風呂浴び私服に着替えて朝食会場の「」で、おかゆ、納豆、のり、生野菜などを食べ部屋に戻り、しばらくクツロギ靴に履き替えロビーに下り、談笑したり、会計さんから支払いの報告を聞いたり、添乗員さんとの打ち合わせ、フロントいた昨夜の担当者に挨拶したバスに乗りこんだ。定刻の9時丁度にホテルの従業員に見送られて出発した。

 ホテルの坂道を下りきると、左折して表浜通りをカーブする右下に「椰子の実の誌碑」、小学校唱歌としてよくしられている「椰子の実」の歌は、南方の見知らぬ島からこの半島に流れ着いたを椰子の実を海岸で見つけ、島崎藤村が情緒豊かに歌ったものである。渥美半島はこのように訪れる人に旅情を誘う所である。

 豊橋の南西に位置する渥美半島は、遠州灘と三河湾に囲まれ、風光明媚な半島である。この地はメロンや電照菊などの温室栽培農業で全国的に知られている。また大昔の縄文式時代の人骨・遺跡が多くみられ、日本人の祖先が黒潮にのって流れ着いたという柳田国男の日本人起源説にもあるように、日本人のルーツを知る上で歴史的にも重要な場所である。

 海上には「日出の石門」を見ながら、遠州灘を望む海岸線はすばらしい景観を示し、大きな波が打ち寄せる浜ではサーフィンを楽しむ若者で賑わう。片浜13里といわれる海岸線近くを走る渥美豊橋自転車道路の標識を見ながら伊良湖フラワーパークを右に見、42号線を東に走り堀切の交差点から左折して、保美南辺りで細い農道に入り、メロンハウスで、一人1個、土産のメロンのツルをハサミで切り、ダンボールの専用箱に納め、名前を書いてバスのトランクの中に次々と持ち帰ってきた。

 この後は、現地のメロン産地問屋直売店の「ニュー渥美観光(株)」の2階の試食室で1/4に切られた薄緑色と赤肉色の2種類のメロンが、長テーブルの上に並んでいて椅子に座って、朝食から1時間足らずの内なので、食後のデザート気分で食べていたが、先ほど土産にとって来たメロンよりも大ぶりでお腹がパンパンになった。

 バスを降りた時には、数年前に赤羽根町の漁港奥のメロン狩りでは、これ以上薄くは切れないと思うほど薄い、2切れも食べられないような味も触感も味わえない試食だった。今回もペラペラの風が吹けば倒れてしまうような薄いものを連想していたが、さにあらず、これは食いでがあった。余の多さに店を出て20分ほどウォーキングをする破目になったが、特別割引料金の箱詰メロンを宅急便で申し込んでいる人で、用意されていた分は「あっと」いう間に売り切れるほどの人気だった。

 「ニュー渥美観光(株)」前を10時30分に出発して、昨日来た道を逆に進み、三河湾の海を見ながら田原の町中を抜け、百々で表浜街道に出て愛知県から僅かに入った湖西市白須賀町の遠州長谷「緑とふれあいの里、潮見峠」で臨時のトイレ休憩を20分取った。まだ知れ渡っていないようで、 観光もぎ取りハウス、梅園、ふれあい広場、臨海公園とともに、地場産品溢れる施設。古くは東西交通の要衝として栄えた東海道53次白須賀宿の、すぐ南西にあり、近くにあり、周辺には、由緒ある神社仏閣などの文化財も多く、自然と歴史が見事に調和した心豊かな海の見える農業公園。

 国道潮見バイパスインターチェンジを入り、ここで、帰りのビンゴを始めることになりカードを配り今日も、早々とリーチの掛声をを挙げる人はいたが、ビンゴの声は、なかなか挙がらなかった。それでも時間が経つと時々ビンゴがかかり、後4人となると直ぐ終わりかと思いきや「上がらないのを」楽しんでブービーメーカーを目指して、がぜん賑やかに盛り上がって、周りの者までが応援し始め、まず2人が上がり2人の決戦になったが皮肉にも同時にビンゴだった。メーカーには賞金と賞品に特別賞の冷酒がおまけに付いた。

 浜名バイパスを上り浜名大橋を渡り、馬郡インターを出て、東海道本線の舞阪の駅横の一般道から浜名湖西インターより東名高速に入ったが、この日は11時30分頃に豊川インター付近でトラックが乗用車に乗り上げ、数10台の車が追突して死亡事故が起こり上り線は通行止めが始り間一髪、インターは入れた。遠州豊田サービスエリアで20分のトイレ休憩をして、焼津インターで昼食のため出てインター傍の「焼津さかなセンター」へ到着、大食堂「渚」の2階で、この店 焼津特選の一番人気の「大漁=3種の舟盛る刺し身・桜海老、釜上げしらす・かつをの生利サラダ」活きの良さ。水揚げされたばかりの活きの良い、焼津港直送の鮮魚をふんだんに使った和風料理の数々、本場焼津ならではの新鮮美味を賞味して、78軒もある買物センターの中へ吸込まれて行った。

 集合時間には、買物を宅急便で送った人、手に持ってきた人、降りるたびに買物をしなければ損とばかり買い込んできますね。

 焼津インターから一気に海老名サービスエリアまでは、綾小路きみまろのビデオやテープを聞いて、居眠りをしながら到着したが、雨模様だった。

 この分では、東京も雨だろうと思いながら20分のトイレ休憩が終わると、いよいよ最後の行程になるが、走ってみないとどれだけ時間がかかるか分からない。

 東名、首都高速と進んで来たが、とうとう用賀で渋滞し、止ってしまうほどだった。三軒茶屋、渋谷、谷町の合流、浜崎橋インターと渋滞していて、今回は1号線に入りお台場周りで、辰巳インターで9号線に入り、箱崎インターで6号線に入り、隅田川を渡る頃車両長がおもむろに立ち上がり、最後のお礼の挨拶があり、向島インターを出て明治通り、曳舟川通りに左折し、旅行前に亡くなった吉田義男さんの通夜が行われている泉屋葬儀社前を右折して、はなみずき通りを右折して、日興信用金庫前に到着。1号車は先に着いていたが「荷物を間違えられてない」と騒いでいたが、後で間違えた人からの連絡で無事に届いたという電話があった。

 最後になりましたが、丸々9年間至らない幹事長に御協力頂きまして長い間ありがとうございました。これからも旅行会は続きます。役員の皆様、参加されます皆様、新しく岩井義治さんが幹事長になりますが、呼応ご期待 !!! 〜〜〜〜〜〜〜。
  
 



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